2019-01-01から1年間の記事一覧
「子路は真直ぐな人間で、知行合一を常に求めた。先生から教わったことはすぐに実行に移したい。しかし、まだそれが成果をあげていないうちに、また次の教えを聞くと、それも実行したくなり、あぶ蜂とらずになる恐れがある。だから、一つのことを成就するま…
子貢曰わく、夫子(ふうし)の文章は、得て聞く可(べ)し。夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可(べ)からざるなり。(「公冶長第五」13) (解説) 「子貢の回想。孔子から古典学は学ぶことができた。しかし、本質・実態とか普遍的なるものは学ぶことが…
「我れ人の我れを加(しの)ぐことを欲せず。吾れも亦人を加ぐこと無からんと欲す」 孔子は秀才である子貢にはできそうもないとたしなめたという。実践することは難しいことなのかもしれないが、この文章を肝に銘じて、会社生活に活かすことに努めたいものだ…
慾、情欲と剛は両立しない。慾を適正にコントロールして、自らも長命であった家康。孔子は「まだ強い人間を見たことがない」というが、激動の戦国を生き抜き、江戸幕府を開いた家康が真の剛者であると思えてならない。
「宰予は、自室で、ある絵を画いていた。孔子はこうおしゃった。「腐った木には彫ることはできない。ぼろぼろになった土塀は塗って修復することができない。宰予に対して責めてもしかたがない」と。孔子はこうおっしゃっておられた。「以前は、他者を見ると…
「孔子が子貢に向かってこうおっしゃった。「君は回君と比べてどうかね」と。子貢は申し上げた。「私ごときが、どうして回君と比べてることなど望みましょうか。回君は一を聞けば十が分かります。私などは一を聞いて二を知るくらいのものです」と。孔子はつ…
自分で仁にはげもうというような意志をほとんど持たないでいて、このような大問題を軽々しく自分の弟子にひっかけて聞いてくるような儒子(若僧)には、正面から答えたくなかったのかもしれない。孔子が、この三人は仁についてはまだ未熟者なのです、と答え…
いつの時代でも、なかなか自分が理想とするものは手に入らぬものらしい。その時、やはり先人たちも今ある環境からの脱出みたいなことを夢想したのだろうか。先人たちの時代とは違っていとも容易く移動ができる時代なのだから、何か閉塞感なり感じるのであれ…
桑原は、「斯を官僚のあり方そのものととり、主体の問題よりも客体の存在そのものに疑問を感じ、そこにコミットする気持ちになれない、と弟子がいい、役人社会の表裏をよく知っていた先生が、お前の気持ちはよくわかる、そのとおりだよ、とうれしげに答えた…
「お前には、器才がある」。「どういう器才ですか」。「最高ということだ」と訳す加地と桑原の訳には差がある。桑原は、もう少し鋭鋒をかくしたほうがよいという忠告を含んでの比喩という。現代においては、エッジを利かせることがもてはやされる。しかし、…
女子卓球の東京オリンピック代表争いが熾烈さを増す。愛ちゃんが切り開いてきた卓球人気。愛ちゃん活躍なくして、オリンピックでの連続メダル獲得もなかった。その愛ちゃんに続けと、石川佳純、伊藤美誠、平野美宇らが活躍する。そんな姿を愛ちゃんは喜んで…
「孔子は南容についてこうおっしゃられた。国政が安定しているとき、責任ある仕事についており、国政が乱れているとき、責任を問われ罪を得るようなことはなかった。兄の子を南容に嫁がせた。」 孔子は、肉親を嫁がすべき人物像を前章と合わせて、明らかにし…
「孔子は公冶長についてこうおっしゃられた。私の娘と結婚させてよい。彼がかつて牢屋に捕らわれていたことがあっても、それは冤罪であったと。そして、御自分の娘を嫁がせたのである。」(論語 加地伸行) 公冶長は論語の中でこの章にしか登場しないことを…
加地は「友人と交わってすぐ親しくなろうとすると、向こうが逃げてしまう」と解説し、桑原は「相手を見て法をとけ、つまり正論をうるさがってこちらをうとんずるようなつまらぬ友人は、ほどほどにしておくほうがよいと」いう。自分の失敗からみると、加地、…
劉備玄徳、多くの人材を集め、蜀を建国とした。三国志では、徳の人として描かれる。幕末の志士から日本資本主義の父と言われるまでに成長した渋沢栄一。 栄一は生まれながら徳をもっていたのだろうか。生きた時代とともに徳を身につけていったのではなかろう…
「教養人は、口下手ではあっても、人の道はすぐに実践したいと願う。」
どん底の苦境に陥る。そんな経験をすることがひとつの契機になるのだろうか。自己破産などを経験しながら、そこから立ち上がり成功した人が大勢いる。その一人にアメリカ16代大統領エイブラハム・リンカーン。彼の言葉と論語の共通性をみる。「約を以て之を…
メジャーでの優勝が目標と口にする松山。2年前の全米プロの後のインタビューの言葉に口惜しさが滲む。メジャーこそまだ獲れていないが、ここまで実績を残してき松山、しかし、その姿勢はいつも謙虚だ。「言の出ださざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり」 あ…
【一いは則ち以て喜び、一いは則ち以て懼る】 孔子自身は父を知らず、また幼くして母と分かれたとされているにもかかわらず、あるいはそうであるだけに、孝子の真情を簡潔に表現しえてあますところがないと、桑原は解説する。この章は、素直に受け取るべきと…
親が存命しているときは、なかなかと親孝行のカタチが見えないもの。「三年、亡父のなしてきたことを改めないまま生活すること、それは孝と言える。」
海外赴任から帰った後、ある理由があって居場所を両親に知らせなかった。【父母在せば、遠くに遊ばず。遊ぶには必ず方有り】父が亡くなった後、父の友人であった人を話す機会があった。父がだいぶ心配していたことをはじめて知った。昨年、居場所を知らせた…
年老いた母と同居するようなって初めてわかる生活信条の違い。「志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨まず。」との言葉を思い出す。多少なら自分の価値観を崩すのも仕方がない。年老いた母を思えば、それが一番のように思う。無用な言い争いは避…
「賢者の言動を知ると、自分もそうなりたいと願い、愚者のそれを知ると、自分はそうあってはならないと反省する。」を聞くと、父の口癖であった「人の振り見て我が振り直せ」を思い出す。亡くなった父は上杉鷹山公を尊敬していたようだ。「為せば成る、為さ…
ローマ法王が来日されている。長崎で、そして、広島でスピーチを行った。「核兵器を保有することも倫理に反します」とのメッセージを世界に向け、発信されました。 君子は義に喩り、小人は利に喩る。 バチカンは核兵器禁止条約をいち早く批准した。被爆国で…
八村塁がNBAにデビューし、瞬く間に活躍し始めている。西アフリカのベナン出身の父と日本人の母の血を継ぐハーフ。そのルーツに誇りを持ち、自信をみせる。吾が道は一以て之を貫く。「僕は自分がやるべきことをやって、結果出していけば、それは子供たちが見…
10月末、あのタイガーウッズが来日、米ツアー日本初開催のZOZOチャンピオンシップに勝利した。 トラブル続きで、ツアーから姿を消した時期は、さぞかし辛い時期であったであろう。そのタイガーを支えていたモチベーションは何であったのであろうか。位無きを…
マーガレット・サッチャー、強硬な姿勢から「鉄の女」とも呼ばれた英国初の女性首相。鉄の女といつ冷徹なイメージとは違って、英国民に愛されていたという。【能く礼譲を以て国を為めん】 彼女の心根は、「Freedom & Discipline(自由と規律)」と「Fairness…
安倍政権が憲政史上最長となったそうだ。安倍政権の一丁目一番地「アベノミクス」の評価はどんなものであろうか。【利に放りて行えば、怨み多し】積み上がる企業の内部留保、低下する労働分配率。景気の気という。幸福を感じる人々がどれだけ増えているのだ…
世情騒然。香港のデモが長期化したまま出口が見えない。米国上院で「香港人権法案」が可決されたとニュースが流れる。「君子の天下に於けるや、適も無く、莫もなし。義 之と与に比す」 香港市民を動かす「義」とは何であろうか。政府側も市民も互いに求める…
「桜を見る会」が話題のようである。 「桜を見る会」の招待客に安倍首相の地元後援者が多数含まれていたという。【君子は徳を懐い、小人は土を懐う】首相もひとりに人間である。地元のことを大切に考えたのだろうか。論語はそういう人を君子と呼ばない。