「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【其の仁を知らざるなり】 Vol.102

 

孟武伯問う、子路仁なるか、と。子曰わく、知らざるなり、と。又問う。子曰わく、由や、千乗の国、其の賦(ふ)を治め使(し)む可(べ)し。其の仁を知らざるなり、と。

求や如何、と。子曰わく、求や、千室の邑(ゆう)、百乗の家、これが宰為(さいた)ら使む可し。其の仁を知らざるなり、と。

赤(せき)や如何、と。子曰わく、赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わ使む可し。其の仁を知らざるなり、と。(「公冶長第五」8)

  

(解説)

「孟武伯が質問したことがあった。「子路は人格者でありましょうか」と。孔子は「完全というわけではありませぬ」とお答えになられたところ、後日、同じ質問がなされた。孔子はお答えになられた。「由は、諸侯の国において国政の長官となる能力がありますが、人格者として完全というわけではありませぬ」と。「冉求はいかが」と。孔子のお答え。「求は、卿(けい)・大夫(たいふ)など重臣の家の執事長となる能力はありますが、人格者として完全というわけではありませね」。「公西赤(こうせいせき)はいかが」。「赤は、正装の礼服を着用して朝廷に立ち、外国の賓客と応接できる能力はありますが、人格者として完全というわけではありませぬ」。」論語 加地伸行

 

 「冉求」、孔子より29歳年少の弟子。字名は子有。「冉有」とも呼ばれる。政治的手腕があり、季子の宰となった。

子路」、本名は仲由、子路は字名。顔回(顔淵)とともに「論語」の二大脇役。大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。

「公西赤」、名が「赤(せき)」。字名が「子華」。「公西華」ともいわれる。孔子の42歳年少の弟子。衣冠束帯の礼装をして朝廷で賓客と応対することが立派にできるという、外交官向きの人材と言われる。また、親に対し、友だちのように接していたといわれる。

 

「孟武伯」、魯の三家の一つ孟孫子の当主。

 「為政第二」6では、孔子に「孝」について質問をしている。 

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 なぜ、この若い貴族「孟武伯」が今度は「子路は仁者ですか」と質問したのだろうかと、桑原は疑問を呈する。

 

 

孔子は対話者の真意をいつも的確につかむ人だから、このときも三人の弟子の実用的な才能をみとめ、それは大切なことだと、それぞれを評価した上で、だが「仁」ということになると、さあそれはどういっていいかな、というふうに、いわば相手をいなしているのでなかろうか」と桑原はいう。

自分で「仁」にはげもうというような意志をほとんど持たないでいて、このような大問題を軽々しく自分の弟子にひっかけて聞いてくるような儒子(若僧)には、正面から答えたくなかったのかもしれない。孔子が、この三人は「仁」についてはまだ未熟者なのです、と答えたのではあるまい」と桑原は解説する。

  

  子路冉有、公西華、この3名はよくセットになって登場する。さて、その真意はどこにあるのであろうか。

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

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