子 子貢に謂いて曰わく、女(なんじ)と回孰れか愈(まさ)れる、と。対(こた)えて曰わく、賜(し)や何ぞ敢えて回を望まん。回や、一を聞いて以て十を知る。賜や、一を聞いて二を知るのみ、と。
子曰わく、如かざるなり。吾と女と如かざるなり、と。(「公冶長第五」9)
(解説)
「孔子が子貢に向かってこうおっしゃった。「君は回君と比べてどうかね」と。子貢は申し上げた。「私ごときが、どうして回君と比べてることなど望みましょうか。回君は一を聞けば十が分かります。私などは一を聞いて二を知るくらいのものです」と。孔子はつぶやかれた。
孔子にとって、「学」とは知識の蓄積の意ではなく、道徳の実践のこと。
魯の君主哀公に、弟子のうちで誰が学問好きかと問われた孔子は、顔回の名を挙げ、「彼は学問好きで、怒りにかられることなく、過ちを繰り返すことはなかった」と答えた。
「好学の士」を以て、「一を聞いて十を知る」という境地に至れるということであろうか。
「回」は、顔回(顔淵)のこと。姓は顔、名が回、字名が子淵。魯の国のひと。孔門十哲の一人、孔子最愛の弟子とされる。好学の士。
孔子より30歳年少で、孔子61歳のとき、32歳で亡くなったという。これが通説だが、孔子71歳のとき、41歳で死んだという説もあるという。加地は29歳で亡くなった説を採用し、すべて白髪だったという。
「賜」と「回」の対比が面白い。
「子貢」、姓は端木、名は賜、字名が子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子の死後、衛の宰相となったといわれる。 「言語には宰我、子貢」(「先進第十一」3)といわれるように、弁舌にすぐれた秀才といわれる。
そればかりでなく、利殖の道にもたけ、孔門第一の金持になったという(「先進第十一」18)。
「関連文書」
(参考文献)