「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【一を聞いて以て十を知る】 Vol.103

 

子 子貢に謂いて曰わく、女(なんじ)と回孰れか愈(まさ)れる、と。対(こた)えて曰わく、賜(し)や何ぞ敢えて回を望まん。回や、一を聞いて以て十を知る。賜や、一を聞いて二を知るのみ、と。

子曰わく、如かざるなり。吾と女と如かざるなり、と。(「公冶長第五」9)

  

(解説)

孔子が子貢に向かってこうおっしゃった。「君は回君と比べてどうかね」と。子貢は申し上げた。「私ごときが、どうして回君と比べてることなど望みましょうか。回君は一を聞けば十が分かります。私などは一を聞いて二を知るくらいのものです」と。孔子はつぶやかれた。

「及ばぬな。私も君もかなわない」と。」論語 加地伸行

 

 

 

 孔子にとって、「学」とは知識の蓄積の意ではなく、道徳の実践のこと。

 魯の君主哀公に、弟子のうちで誰が学問好きかと問われた孔子は、顔回の名を挙げ、「彼は学問好きで、怒りにかられることなく、過ちを繰り返すことはなかった」と答えた。 

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 「好学の士」を以て、「一を聞いて十を知る」という境地に至れるということであろうか。

 「回」は、顔回(顔淵)のこと。姓は顔、名が回、字名が子淵。魯の国のひと。孔門十哲の一人、孔子最愛の弟子とされる。好学の士。

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 孔子より30歳年少で、孔子61歳のとき、32歳で亡くなったという。これが通説だが、孔子71歳のとき、41歳で死んだという説もあるという。加地は29歳で亡くなった説を採用し、すべて白髪だったという。 

 

  

 「賜」と「回」の対比が面白い。 

 

 「子貢」、姓は端木、名は賜、字名が子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子の死後、衛の宰相となったといわれる。 「言語には宰我、子貢」(「先進第十一」3)といわれるように、弁舌にすぐれた秀才といわれる。

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そればかりでなく、利殖の道にもたけ、孔門第一の金持になったという(「先進第十一」18)。 

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「関連文書」

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)