「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

ふるさとは遠きにありて思うもの 【終わりを慎み遠きを追えば】 Vol.14

 お盆も明け、今日から仕事に復帰されている方も多いのではないでしょうか。

お盆期間中、ふるさとに戻り先祖の供養をされたでしょうか。

 

曾子曰く、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。

 (学而第一 九)

  

(意味)

「人々が父母の喪においても、祖先の祭祀においても、まごころを尽くすのであれば、その道徳心はすぐれたものになる。」(論語 加地伸行

 

もうお盆は過ぎてしまいましたが、この季節にはぜひ思い返したい文章です。

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや  (室生犀星

 

 父が亡くなり、この夏は新盆でした。

 迎え火、送り火などの行事ととも慌ただしく時間が過ぎていきました。

 

 この詩を読むと、父の姿を思い出す。

この夏、父は、ふるさとの山形へ帰ったのだろうか

 

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(参考文献)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

SNS疲れ 【忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ】 Vol.13

 

 子曰く、君子重からざれば、則ち威あらず。学びても則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。 (学而第一 八)

  

(意味)

「重厚さすなわち中身の充実(誠実)がなければ、人間としての威厳はない。学問をしても堅固ではない。このように質の充実つまりはまごころを核とすることだ。(そういう生き方をする)自分と異なり、まごころの足りない者を友人とするな。もし自分に過失があれば、まごころに従ってすぐに改めることだ。」(論語 加地伸行

 

 加地、桑原とも同じような見解を示しているが、桑原の「己に如かざる者を友とする無かれ」のところの解説がおもしろい。

 

「上に立つ者は、重々しい態度をしていなければ威厳がたもてない。つまり、人民にあなどられるだろう。上位者には学問をしていないものが多いが、それでは考えが固定して融通がきかない。まごころがあって嘘をつかない人と馴れ親しんで、自分より劣る者を友人とするな。過ちをおかしたならば、素直に改心して改めるべきである。こだわってはならない。」(論語 桑原武夫

 

 桑原は、こう主張している。

上位者のみでなく、一般人への訓戒ととれば、どうなるか。みんなが上を向いて、自分と同じ、または自分にまさる人格の持ち主を友人としたがると、下のほうにいると認定された人間は誰も友人になってくれない、という結果になりはしないか。それでは現代考えられているような意味でのヒューマニズに背くことになりはしないか。(中略)

私は、おのれにまさる者も如かざる者もともに友として、そのおのおのが人間であるかぎり、必ずもっているにちがいない自分にないところのものを、摂取するという考え方のほうが立派なのだ。もちろん、無限に友人の数を増やすわけにはいかず、そこにかならず選択作用がはたらくにちがいないが、それは運命的あるいは無意識的でありたい。

 

 

 ミレニアル世代のSNSの使い方に変化が現れ始めているのかもしれない。シェア文化が薄れ、視認性が高く文字数が多いインスタグラムの人気など。この世代もそろそろ30代を迎えることになり、ライフスタイルに変化が出てくる年頃でもある。

 いち早くSNS疲れを感じていたのもこの世代である。

「己に如かざる者を友とする無かれ」の桑原の主張を読むと、ミレニアル世代のことが頭に浮かぶ。

 このことばが、より多くの情報をネットから入手してきた、この世代の世相を表しているのかもしれない。

  

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 「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」

 桑原はこう解説する。

「過ち一般についての訓戒であって、孔子は陰湿なこだわりがまったくないので、ミスはミスとして素直に改めよという効率の高い実践的教訓としている。これも上位者は威厳を守るために、おのれのミスを認めまた改めることを嫌う傾向が強いから、適切な訓戒と言える。」

 

 

(参考文献)

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

炉辺閑話 #1 トップアスリート本田圭佑さんのプロジェクトマネージメント

 

 トップアスリートたちの行動が変化してきたように思う。

 監督や解説者になったりするのが以前のトップスポーツ選手の引退後の姿であった。少し傾向に変化が現れている。プロ野球山本昌さん、サッカーのキングカズ(三浦知良)や中村俊輔は現役にこだわっている。一方で、サッカーに目を転じれば、本田圭佑さん、長友佑都さんらは積極的にビジネスにかかわっている。この他にも北島康介さんや為末大さんらもそうだと思う。

 

www.nikkei.com

 

 

 もうかなり前だが、私はSONYに6年間ほど在籍していた。プロジェクト・マネージメントについて、サッカー型がいいのではと話していたら、「何言っているの、SONYは野球型だよ」と言われた。各人の守備範囲が決まっているからと想像した。

 SONYが迷走を続けていた時代のこと。変わっていればよいと思いますが。

 

 

 日経の本田さんの記事にこんなことが書いてあります。

「サッカーと、会社組織やプロジェクトは、一人でできないところが共通している。それぞれに役割があり、モチベーションを高めて目的を達成する過程は本当にそっくり。僕はほとんどのプロジェクトをサッカーに置き換えたり、参考にしている。監督とか、選手でもゲームメーカーのタイプは事業をやれる」

人材マネジメントでも、スポーツから得られる知見は大きい。「(トップレベルの)サッカーは競争を勝ち抜いた選手が集まっていて、プライドが高い選手ばかり。全員は試合には出られないし、出ても活躍する、しないがある。プライドが高い選手たちのモチベーションをコントロールする術は(事業にも)共通する」

 

 サッカーはチームプレー、時々の状況を読んで、チームとして一体性を保ちながら各人が与えられている役割を全うする。

 

 

 当時のSONYは真逆であった。自由闊達という言葉が悪い方向に進化して足を引っ張ることに使われていた。「好き勝手に何を意見、非難してもいい」と、こんな声をよく聞いた。それに加え、協力しない姿勢。自分の守備範囲から出ようとせずに、頑張る人が躓くように罠さえしかけようとしていた。これからのことは他の人からも聞いていた。

 

 

 長くイタリアの名門インテルでレギュラーポジションを取りづけていた長友さんのことば。

僕の想いに共感・共鳴してくれる仲間がいて、志という炎が掛け算になって大きくなっていく。そして、その炎が大きければ大きいほど、多くの人の目にとまり、多くの人に僕たちが届けたい価値が届き、満足してもらえる。そんなスケールとスピードを求めるには会社で動くことが良い、と思いました。

forbesjapan.com

 

 

 そんな2人に共通することは、サッカースクールを運営されていること。次なる世代のこともきちんと気にかけていること。

 

 

 謹みて信、汎く衆を愛して仁に親(ちか)づけ

 

 論語のこの言葉の通りに生きておられるなかとつくづく感じます。

 

 

 未だにスポーツを根性論で語られる人がいて残念に思います。 そこに世代間ギャップとかを感じたりもします。

 時にはトップアスリートたちに学んでみることも必要だなと感じています。 

  

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 先日、「日本代表GK 川島の理想的な人生 【謹みて信、汎く衆を愛して仁に親づけ】 Vol.11」を投稿しました。

 

 

 こちらもどうぞお読みください。

 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

真善美について 【賢賢易色 致其身】 Vol.12

 

 

子夏曰く、賢を賢として色に易(か)え、父母に事(つか)えて能(よ)くその力を竭(つ)くし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに、言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖(いえど)も、吾れは必ず之れを学びたりと謂わん。

 (学而第一 七)

  

(意味)

「夫婦はたがいに相手の良いところを見出してゆくことが第一であり、容姿などは二の次だ。次に、父母にお仕えするときは、自分にできることの限りを尽くし、一方、主君にお仕えするときはまごころを尽くし、友人と交わるときは、ことばと行動とが一致するよう信義を守る。もしそういう人柄であれば、たといその人が「いや、自分のような者はまだまだです」と言ったとしても、私はもう十分に教養人であると考える。」

 

 加地伸行はこのように訳しているが、桑原はまったく異なる見解を示す。

 

「賢者を尊敬し、父母に孝行で、君主によく事え、朋友に信があれば、正規の学問がなくても学問をした人間として評価したい。」

 

 その違いは、冒頭部、賢賢易色のところ。桑原は、こう主張する。

孔子は、美と善とは必ずしも背反するものではなく、むしろ古代的調和において真善美の三者は並存むしろ融合的にとらえていたのではないか。過度におちいらないかぎり、美人を愛することは人間の性情として、真であり、社会として善であり、感情として美であるはずだ。

 

 古注では、賢者を賢者として尊ぶことは美人を愛するようであれとする。

 

 狩野直喜も宋儒のリゴリズムを揶揄していたとのこと。

 私個人としても、桑原説をとりたい。その方が深みがでて、味わい深くなる。

 しかし、そうなると渋沢栄一に言い訳の材料を与えるようにも思える。

  

後年の栄一の逸話。栄一の人間臭さも

こうした夫渋沢栄一について、兼子夫人は晩年、子供たちによくつぶやいていた。

「お父さんも論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」

渋沢は生涯、論語を愛し、論語の文献を集め、講読会を開き、儒教倫理を説いた。ただし、論語には、夫人の指摘する通り、女性に対する戒めはない。 (雄気堂々 序曲 流産祝)

  

  

 桑原は、本章の主意は、個々の徳目よりも、むしろ、本を読んで正式の学問をしていなくても、実践的に立派であれば学問をしたといってよい、つまり、学歴より実践を尊重するということを示しているとした。

 

 あのミケランジェロは、『つまらないものが完璧を生み出すのです。そして、完璧なものはつまらないどころではないのですよ』といった。

 つまらないこと、日々の些事の積み重ねが偉大な芸術になることを実践で示している。

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イギリス流 大人の気骨――スマイルズの『自助論』エッセンス版

イギリス流 大人の気骨――スマイルズの『自助論』エッセンス版

 

 

 

 

 訳者によって見解が異なることも、また論語の面白いところでもある。どちらを採用するかは読み手個人に任せてもよいかと思う。

 

 

(参考文献)

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

日本代表GK 川島の理想的な人生 【謹みて信、汎く衆を愛して仁に親づけ】 Vol.11

 

子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち悌たれ。謹みて信、汎く衆を愛して仁に親(ちか)づけ。行ないて余力あらば、則ち以て文を学べ (学而第一 六)

  

(意味)

「青少年は家庭生活にあっては孝を行ない、社会生活にあっては目上の人に従え。常に言行を謹み、言行を一致させ、世人を愛することに努め、他者を愛するありかたに近づけ。それらを行なって、なおまだ余裕があるならば、古典を学ぶことだ。」

 

 人としての生き方の理想。

 結局、どこかに無理が生じると、心の平静さを失い、バランスが崩れる。

 こうした理想的な人生を送っているのが、トップスポーツ選手たち。そのひとり、サッカー日本代表GKの川島さん。川島さんの紹介記事があった。

 

forbesjapan.com

 

理想的な人生を歩んでいると素直に感じました。

記事の中にもありますが、川島さんは7か国語を操り、マーケティングファイナンスの講義を受け、自分自身を多角的に見る時間と機会を作りながら日々の練習に打ち込んできたそうです。

 

「何より挑戦する事が目的ではなく、1%の可能がある限り、事を成す、ことが目的だということ。今までも周りから見れば無謀な挑戦をしてきたかもしれません。そしてまた、無謀な挑戦をしようとしています(笑)。でも1%の可能を自分の手から手放す事は僕にはできません」(Forbes記事より) 

こんな言葉を自然に語ることが出来ることも素敵なことですが、こうした心構えが論語でも問う理想的な生き方に近いづいていく秘訣なのかもしれません。

 

 

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(参考文献) 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

組織の三菱 【千乗の国を道く】 Vol.10

 

 

子曰く、千乗の国を道(みちび)くには、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うには時を以てす (学而第一 五)

  

(意味)

「大国の政治を担当するには、次のようなことが必要だ。事務上のことは丁寧に扱って人民を欺くことなく、公の金品は節約を心がけて、人々の心や生活を豊かにし、人民の労役を提供させるときは、農閑期にするように心がける。」

 

 政治における要諦、このような言葉があるということは遠い昔も、国の政治に問題があったことが容易に想像できる。いつの時代でも同じなのかと思う反面、2000年の時が経過してもあまり政治には進歩がないのかとも思えてしまう。

 

企業経営もまたしかり。常に顧客ファーストであって、プロダクトインに陥ることは避けなければならない。このことばを理念として、また原則とした経営が求められる。

 

この論語のことばを聞いて思いだすのは前垂をしていた頃の岩崎弥太郎の姿。

明治になり、現在の三菱の礎を築いたのは二代目の岩崎弥之助。弥之助は、世論の反発を受けないように気を使っていたとのこと。兄弥太郎の時代に、政府の攻撃を受け、世論の激しい非難が三菱を崩壊の危機に追い込んでいったことを経験していた。  

 

 小弥太の代になると、小弥太はこんな言葉を残している。

「多くの人は一時の功名心に駆られて急遽の成功を求めた。それ故、事業界では権略を弄し、詭計を用いる巧みな者が往々として称賛せらるるが、国家の前途を思えば、誠に寒心に堪えない」 (岩崎弥太郎と三菱四代)

  逆説的だが、論語のことばにも通じるものがあるように思う。

 

そういえば、『組織の三菱、人の三井、結束の住友』という。

三菱には論語のように累々と語り継がれる組織の要諦、理念なるものがあるのかもしれない。

 

 

余談だが、私は住友系の電機メーカに勤めていた。何か困ったことがあると必ず住友商事に相談しろと言われていた。夏の納涼祭にはアサヒビールが来て挨拶をしていた。生命保険はいまでも住友生命住友商事のメンバーとはよく我ら井桁の仲間と言っていた。確かに結束の住友かもしれない。

 

(参考文献)

岩崎弥太郎と三菱四代 (幻冬舎新書)

岩崎弥太郎と三菱四代 (幻冬舎新書)

 

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

人間関係に疲れたなら【吾日に吾が身を三省す】&【益者三友、損者三友】 Vol.8 & 9

 

いまさら、SNSのことを例に出すこともないが、現代はいとも容易く、人と繋がることができる。その一方で、人間関係が苦しむことが増えてきているのではないでしょうか。

人間関係は複雑さを伴うので、簡単に語ることはできませんが、

【われ日に、わが身を三省する】

他人のことをとやかく言う前に、シンプルにわが身を省みてみる。

意外にそんなところから人間関係のトラブルも解消されるのかもしれません。 

 

曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と。(学而第一 四)

 

(現代語訳)
私は毎日いろいろと反省する。他者のために相談にのりながら、いい加減にして置くようなことはなかったかどうかと、友人とのつきあいで、ことばと行ないとが違っていなかったかどうかとか、まだ十分に身についていないのに他者に与えてしまったかどうかとか、というふうである。

 

桑原武夫は、この文章を以下のように解説している。

人にまごころを尽し、友人に誠をささげることの立派さに誰も異存はないだろう。しかし、現実世界において、あらゆる人、あらゆる友人にそうすることが果たし可能だろうか。人とは何か。友とは何か。論語は理想主義ではあるが、あくまで人間主義であって、絶対的超越論を押しつけない。ひとしく人といっても親近と疎遠の別があることを当然とする


友については、「益者三友」(李氏第十六 四)などといい、また、「己に如かざる者を友とする無かれ」(子罕第九 二十五)ともいって選択の必要を説いている。まずは小さい範囲で忠信を尽し、さらにおのれの能力に応じて行動半径を広げてゆくことを求めている。 (論語 桑原武夫

 

 

この桑原の解説を読んでいると、樋口廣太郎のことを思い出します。

樋口さんは、アサヒビールの元経営者。どん底にあったアサヒビールを「スーパードライ」で日本No.1のビール会社に成長させた人です。

彼の著作『つきあい好きが道を開く』というのがあります。彼の交遊録をベースにされていて、樋口さんの交友の広さを感じることができます。非常に読みやすく、心に刺さる言葉が散りばめられています。 

 

 

 

孔子曰く、益する者の三友あり。損なう者の三友あり。直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるものを友とするのは益するなり。便辟なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするのは損なり。(李氏第十六 四)

 

(現代語訳)
自分にとって有益な三種の友がある。有害となる三種の友がある。
まっすぐな友、義理固い友、博識の友、これは有益である。しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、これは有害である。

 

 

私のノートにはカリスマ経営者と言われたリー・アイアコッカ氏の語録が書き残してあります。 

経営とはふさわしい人材を選ぶこと。そして、優先順位をまちがえないこと。

 

心をひとつにして働けるチームが勝つ

教訓は辛い経験を通して学べる

リーダーたる者は、誰が真の友かを知っていなければならない。

真の友とは、なんでも無条件で賛成したり、言いなりになったりする人とはかぎらない。本物の友情は、対等であるべきだ。順調な時も、苦境の時も友情を持ち続け、尊敬しあえる間柄でなければならない。

時によって、相手が正しいと率直に認めることは決して弱さではない。

(リー・アイアコッカ なぜ真のリーダーがいないのか)

 

 これらは、彼の著作から抜粋したものです。

どこか論語のことばたちに通ずるものがあると感じます。

経営という言葉を、人生という言葉に置き換えることはできると思います。

 

 

世の中には、こんな人もいるようです。

私も経験したことなのでよくわかります。この記事も読んでみてください。

forbesjapan.com

 


子曰く、忠信を主として、己を如かざる者を友とする毋れ(なかれ)。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。

(子罕第九 二十五) 学而第一 八に同じ

こちらはまた別の機会に解説しますが、フォーブスの記事を読んで思い出すことばです。

 

やはり、友の選択はとても大切なことです。 

 

 

(参考文献)

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

 

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。