「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【始め作すや、翕如たり。之を従って、純如たり、皦如たり、繹如たり。】 Vol.66

   

 子魯の大師に楽を語(つ)げて曰わく、楽は其れ知る可(べ)きなり。始め作(おこ)すや、翕如(きゅうじょ)たり。之を従(はな)って、純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る、と(八佾第三 二十三)

  

(意味)

孔子は魯国の音楽長官に音楽とは何かをこう主張された。「音楽とは別に難しいものではない。演奏し始めると、音色が集合して調子が合う。そこで各音の調子を暢(の)ばすと、各音それぞれ本来の音色が大きく現われるが調和を保つ。さらには音声が明瞭となる。各音を連続させつないでゆく。こういう風にして完奏するのだ」と。」論語 加地伸行

 

  

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

【始め作すや、翕如たり。之を従って、純如たり、皦如たり、繹如たり。】 Vol.66

   

 子魯の大師に楽を語(つ)げて曰わく、楽は其れ知る可(べ)きなり。始め作(おこ)すや、翕如(きゅうじょ)たり。之を従(はな)って、純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る、と(八佾第三 二十三)

  

(意味)

孔子は魯国の音楽長官に音楽とは何かをこう主張された。「音楽とは別に難しいものではない。演奏し始めると、音色が集合して調子が合う。そこで各音の調子を暢(の)ばすと、各音それぞれ本来の音色が大きく現われるが調和を保つ。さらには音声が明瞭となる。各音を連続させつないでゆく。こういう風にして完奏するのだ」と。」論語 加地伸行

 

  

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  

 

 

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【管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん】 Vol.65

   

 子曰わく、管仲の器小なるかな、と。或ひと曰わく、管仲倹なるか、と。曰わく、管氏三帰(さんき)有り。官事(かんじ)摂(か)ねず。焉(いずく)んぞ倹なるを得ん、と。然らば則ち、管仲は礼を知るか、と。曰わく、邦君は樹(た)てて門を塞ぐ。管氏も亦樹てて門を塞ぐ。邦君両君の好(よし)みを為すに、反坫(はんてん)有り。管氏も亦反坫有り。管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん、と(八佾第三 二十二)

  

(意味)

孔子が「管仲の器量は小さい」とおっしゃられたので、ある人が問うた。「それは管仲がケチな男だたということですか」と。孔子はこう答えられた。「管殿は三か所もの邸宅を構えており、それぞれ家臣が専任でいる。どうしてケチであろうか」と。すると「そういう贅沢をしていましたのなら、臣としての礼が分かっていたのでしょうか」問い重ねてきたので、孔子はこうおっしゃった。「国君の場合、域内にあるその邸第の門を入ると、前に目隠し用の土塀を作っている。管殿は自邸の門内に土塀を築いていた。また国君の場合、諸侯が出会い友好を深める際、会場となる堂に反坫という土製の台を設け、儀式で酒を使うとき、そこに杯を置く。この反坫を家臣の管仲が自邸の堂に設けていた。管殿をもし臣としての礼が分かっていたとするならば、この世に礼を知らぬ者などはない」と。」論語 加地伸行

 

  

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  

 

 

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【成事は説かず。遂事は諫めず。既往は咎めず】 Vol.64

   

 哀公社を宰我(さいが)に問う。宰我対えて曰わく、夏后氏は松(しょう)を以てし、殷人は柏(はく)を以てし、周人は栗(りつ)を以てす、と。曰わく、民を使(し)て戦栗せしむ、と。事(せいじ)は説かず。遂事(すいじ)は諫めず。既往は咎めず、と。(八佾第三 二十一)

  

(意味)

「魯君の哀公が宰我に社について質問をなされた。宰我がお答え申し上げた。「夏王朝では松、殷王朝では柏、現周王朝では栗を用います」と。宰我はついでこう述べた。「栗は慄に通じますので人民に畏怖させ戦慄せしめるためです」と。後でこの話をお聞きになった孔子は哀公への応待について「できたことはしかたがない。すんだことは注意しない。過去は咎めない」と三度もおっしゃった。」論語 加地伸行

 

  

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

【成事は説かず。遂事は諫めず。既往は咎めず】 Vol.64

   

 哀公社を宰我(さいが)に問う。宰我対えて曰わく、夏后氏は松(しょう)を以てし、殷人は柏(はく)を以てし、周人は栗(りつ)を以てす、と。曰わく、民を使(し)て戦栗せしむ、と。事(せいじ)は説かず。遂事(すいじ)は諫めず。既往は咎めず、と。(八佾第三 二十一)

  

(意味)

「魯君の哀公が宰我に社について質問をなされた。宰我がお答え申し上げた。「夏王朝では松、殷王朝では柏、現周王朝では栗を用います」と。宰我はついでこう述べた。「栗は慄に通じますので人民に畏怖させ戦慄せしめるためです」と。後でこの話をお聞きになった孔子は哀公への応待について「できたことはしかたがない。すんだことは注意しない。過去は咎めない」と三度もおっしゃった。」論語 加地伸行

 

  

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  

 

 

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【関雎は楽しみて淫せず、哀しみて傷らず】 Vol.63

   

 子曰わく、関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず。(八佾第三 二十)

  

(意味)

「関雎の詩句は楽しいが、とめどもないわけではない。哀しいところはあるが、行きすぎはない。」論語 加地伸行

 

  桑原の解説は、

「淫」は過の意味で、淫蕩とまではいかない。楽しくはあるが過度にはならない。哀しくはなるが心をひき裂くまでにはならない。つまり、この音楽は仁斎のいう「中和の徳」に合致しているのである。楽しみと悲しみは人間に避けられないものであって、これと絶縁しようなどと考えるのは人間の本性にもとることである。この音楽は哀楽を生かしつつ節度を守り、その表現は中和を得ているというのである。これは音楽のすぐれた愛好者だった孔子の音楽批評だが、思想も文学もふくみ、ひろく中国文化一般の理想を示すものである。仁斎はこうした音楽は聞く者の心のけがれを洗い流し、かすを融かしきって、正しい人間性に到達させる、これがもっとも美しい音楽だと解説している。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

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【君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす】 Vol.62

   

 定公問う、君臣を使い、臣君に事(つか)うること、之を如何、と。孔子対(こた)えて曰わく、君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事(つか)うるに忠を以てす、と。(八佾第三 十九)

  

(意味)

「魯君の定公が「君が臣を使い、臣が君に事えるとき、どのようにすれば良いのか」とおたずねになったとき、孔子はこうお答え申し上げた。「君上が臣下をお使いなさるときは、人間として遇し、臣下が君主にお事えするときは、まごころをもってしなければりませんぬ」と。」論語 加地伸行

 

  

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

 

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