子貢(しこう)問いて曰わく、師と商とは孰(いず)れか賢(まさ)れる、と。子曰わく、師や過ぎたり。商や及ばず、と。曰わく、然(しか)らば則ち師は愈(まさ)れるか、と。子曰わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし、と。(「先進第十一」16)
(解説)
子貢が「師(子張)と商(子夏)と、どちらがすぐれていますか」と尋ねたところ、孔子がこう答えた。「師は多いな、商は少ないな」と。子貢は「では師のほうがすぐれているのですか」と尋ねたが、孔子はこう教えた。「多いも少ないも同じことだ」と。」(論語 加地伸行)
「子張」、陳の人、姓は顓孫、名は師、字名が子張。孔子晩年の弟子。もっと若く秀才といわれる「礼」の専門家。
子夏と議論したとき、子夏の激しい調子を批判し、孔子のゆったりと相手の意見を聞く態度を学んでいないといい、さらに、小人の議論は、自分の意見だけが正しいと言い張り、目を怒らせ、腕をむき出しにし、早口で口から涎(よだれ)がたれ、目が赤くなり、勝を得ると喜びまわる等々と言ったという。
「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。
孔子が外出しようとしたとき、雨が降ったが、傘がなかった。弟子が「子夏がもっていますよ」というと、孔子は「あれはケチだからなあ」と答えたという。続けて「人の長所を言い、短所を忘れることによって、長くつきあいができるのだ」と言ったと、加地は「孔子家語」の一節を紹介する。
過ぎたるは猶及ばざるがごとし
「過」も「不及」も同格であって、中庸を失っている点では、ともに良くないという意味である。
「子貢」、姓は端木、名は賜、字名が子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子の死後、衛の宰相となったといわれる。
「関連文書」
(参考文献)