哀公問うて曰わく、何を為せば則ち民服せん、と。孔子対(こた)えて曰わく、直きを挙げて諸を枉(まが)れるに錯(お)けば、則ち民服す。枉れるを挙げて諸を直きに錯けば、則ち民服せず、と。(「為政第二」19)
(意味)
「哀公が下問された。「どのようにすれば、人民は心服するであろうか」と。孔子はお答え申し上げた。「真っ直ぐな人物を登用して曲がった連中の上に据え置きますれば、民は心服いたします。その逆では、心服いたしませぬ」と。」(論語 加地伸行)
桑原の解説
この問答は孔子最晩年のものとされ、その頃は各国で農民の反乱が多かったという。それをおびえての質問であろうと桑原はいう。
「民」は貴族を除く一般人民。年若く無力な魯の君主哀公が、どうすれば人民が服従するだろうかと、と尋ねたのに対しての孔子の答えは、
「直」すなわち正しい人間を抜擢して、「枉」、真直ぐでない、正しくない者の上に置くならば、人民は服従する。ところが逆に、不正な人物を抜擢して、これを正しい人間の上に置くならば、人民は決して服従しないだろう。
正しい人間が不正な人間を感化するというだけでなく、「錯」、すなわち上に置くという言葉が用いられることによって、威圧の感じが出ているという。
現実政治においては、そうならざるを得まい。これは理論というより、現実政治についてのアドバイスであろうと桑原はみる。
前の政権では不正な輩が大臣の位を射止めては、辞任する騒ぎが続いたことを思い出す。世相がどれだけ影響の受けたのだろうか。世の中にモラルに反する行為が横行するようになるのもこうした影響があったのだろうか。
戦前の日本に、国民から「ライオン宰相」と言われた浜口雄幸という首相がいた。名宰相のひとりではなかろうか。
「金解禁(金輸出解禁)」にあたり、浜口が大蔵大臣に指名したのが井上準之助。
城山三郎の著作「男子の本懐」に、井上のことばとして、こんな文がある。
「おれは他人のやりたがる仕事を傍から奪ってやる気はしない。万人共に面倒とし、厄介とし、躊躇する、しかも国家にとって緊要な仕事で、おれを起用してやらそうというのであれば、そのときこそ、あえて乗り出していく。」(引用:男子の本懐)
浜口雄幸と井上準之助、二人だからなし得た金解禁という大仕事。
「直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、則ち民服す」
論語のこのことばは、こんな関係のことをいっているのだろうか。
(参考文献)