季康子(きこうし)問えらく、民をして敬、忠にして以て勧めしむには、之を如何せん、と。子曰わく、之に臨むに荘(そう)を以てすれば、則(すなわ)ち敬せん。孝慈(こうじ)もてすれば、則ち忠ならん。善を挙げて不能を教うれば、則ち勧めしめん、と。(「為政第二」20)
(解説)
季康殿が質問した。「私に対して、人民が尊敬しまごころを持ち、そして道徳的になる、そういうふうにさせたいのだが、どうすればよいのか」と。孔子は答えた。「人民の前で、ピシッとすることです。そうすれば民は尊敬します。孝を実践し、民を慈しむことです。そうなれば、民はまごころを尽くします。善人を登用し、不善者に教えることです。そうあれば、善行をするようになります」と。(論語 加地伸行)
人選、チーム作り、人事という言葉を連想する。また、子は親の背を見て育つという。長たる者が有徳者であれば、その徳が広く波及していく。
「季康子」、魯国の実質的支配者である三桓氏の筆頭が季孫氏。季康はその当主。康は諡(おくりな)。魯の国の宰相で、その父季桓子はかつての孔子の同僚。
不善、不祥事が蔓延る世の中になったと思えば、それはリーダーたちの写し鏡ということなのだろう。
(参考文献)