子夏(しか)曰わく、君子は信ぜられて、而(しか)る後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を厲(やま)すと為す。信ぜられて而る後に諌(いさ)む。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を謗(そし)ると為す。(「子張第十九」10)
(解説)
子夏の言葉。「君子 教養人は、人々の信頼を得た後で、人々に働いてもらうようにすることだ。人々からまだ信頼を得ていなければ、自分たちをつらいめにあわしていると思われる。諫めるときは信頼されたその後にすることだ。まだ信頼を得られないうちに諫言(かんげん)すると、自分を非難していると思われる」。(「論語」加地伸行)
「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。孔門十哲の一人。後に魏の文侯に招かれ、その師となる。
魯君の直轄地 「筥父」の宰になった子夏に、「速やかならんと欲する無かれ。小利を見ること無かれ」とアドバイスを贈った。子夏にはせっかちのところでもあったのだろうか。そんな子夏がたどり着いた境地なのだろうか。
この章は今の時代でも通用する言葉ではなかろうか。「信頼」は、すべての基礎である。
「晏平仲」という賢人政治家がいた。上を恐れず諫言を行い、人民に絶大な人気があったという。君主もまた彼を憚ったとそうだ。
論語における理想像のひとつなのだろう。
(参考文献)