「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

アウェイで自分を知る【桴に乗りて海に浮かばん】 Vol.101

 

子曰わく、道行なわれず。桴(ふ)に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、其れ由(ゆう)なるか、と。子路之を聞きて喜ぶ。

子曰わく、由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し、と。(「公冶長第五」7)

  

(解説)

孔子がこういったことがあった。「乱世じゃ。桴(いかだ)に乗って東海にでも行くか。付いてくるのは、ま、由ぐらいか」と。子路はこの話を伝え聞き、嬉しがった。

孔子は「由の大胆さは私以上だが、材質はないな」とおっしゃった。」論語 加地伸行

 

 「孔子は本気で中国脱出を考えていたのだろうか、疑わしい。しかし、孔子にも、中国の現状がどうにもやりきれない、と痛感する瞬間はあっただろう。そして、それが本来多感で勇を好む気質と結びついて、短時間ながら冒険への空想をかなりの強度をもって抱き、また内向的な人ではないので、それを親しい側近者に洩らすことがあってとしても自然である」と桑原は解説する。

 孔子はこの国では理想は実現されない、いっそ桴に乗って東海にわたりたい、そうなったら連れていくのは、勇敢で政治的手腕もある、由(子路)だな。

子路之聞きて喜ぶ」

 一本気な子路が自分への師の信頼にほくほくとして姿を現す。その子路を前にして、「由よ、わしも冒険は好きさ、だがお前はわしを上回っているよ。だが、いったい桴を作る材木はどうするのかね」とユーモアをこめて言ったという。

 孔子はかりそめにも桴に乗ろうなどと、あまりにも「暴虎馮河」的なことを言ったのを恥かしく思う気持ちになったのかもしれないと桑原はみる。

 

 

「無所取材」には異説があるという。取りどころのない男とまで言わないが、勇気のほどは十分に認めるけど、まだ仁者としては至らぬところがある、として子路に軽く訓戒を与えたということになるが、「材」は材木と見たほうが面白い。孔子だからといって、いつも教訓ばかりして訳ではなかろうと桑原はいう。

 たしかに、「無所取材」次第でいかようにも意味は変化しそうである。子路が、衛の国に仕えた後に殺される史実から考えれば、「冒険航海に堪える桴の辛抱強さのような材質は子路にはないな」とする加地の解説に合理性があるように思う。 

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 現状に少し疲れ、桴に乗ってぼーっと海でも浮かんでいるかとすれば、桑原のようにこの文章をユーモアとみることもできるのではなろうか。 

 いつの時代でも、なかなか自分が理想とするものは手に入らぬということなのだろう。その時、先人たちも今いる環境からの脱出したいと夢想したのだろうか。

 

 

 先人たちの時代とは違っていとも容易く移動ができる時代なのだから、何か閉塞感なり感じるのであれば、一層のこと脱出してしまうこともよいのではなかろうか。世界に見るべきもたくさんあるのだから。

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  ふと思えば、ここしばらくアウェイに出向いていない。刺激を求めてどこに出かけたいとなんて思う。

 

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 この記事を読んだら、キューバに行きたくなった。

 不便さを感じることで、便利さを見つめ直してみたい気持ちになった。

 桴の上もそういう世界かもしれないし、ただ流れに身を任せているのもいいのかもしれない。

   

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

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