「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【敝れたる縕袍を衣、狐貉を衣る者と立ちて、恥じざる者は、其れ由か】 Vol.233

 

子曰わく、敝(やぶ)れたる縕袍(おんぽう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣(き)る者と立ちて、恥じざる者は、其れ由か。忮(そこな)わず求めず、何を用(もっ)てか臧(よ)からざらんとあり、と。子路、終 身 之を誦(しょう)す。子曰わく、是の道や、何ぞ以て臧しとするに足らん、と。(「子罕第九」27)

 

  (解説)

孔子のおっしゃった。「破れた綿入れを着ていても、皮衣を着た貴人と並んで平然として恥じたりしない者は、由(子路)君ぐらいか。「詩」に悪口を言わず、名利を求めず。これで善しとあるとおりだ」と。子路は、生涯、この詩句を誦し続けた。しかし、孔子はさらにおしっしゃっておられた。「道は、それだけで善しとするに足りようか」と。論語 加地伸行

 

 桑原は解説する。

「縕」とは古注によれば、枲(し)からむしの著(綿入れ)のことで、「袍」とは上衣。粗末な着物だが、それが破れているのだ。「衣」はきる。「狐貉」とは孤やむじなの毛皮でできた貴族たちの着る上等の外套。当時は木綿はまだなかったという。

 ぼろぼろになった綿入れの着物を着て、上等の毛皮の外套を着た人と並んで立って、ひけ目を感じないでいられるのは、由(子路)くらいだろう。

 それは「妬(ねた)まず、ほしがらず、どうして善い人間でないことがあろう」という「詩経」の句にそっくりだ、と孔子子路をほめたのである。

 この詩は「詩経」の「邶風(はいふう)」の「雄雉(ゆうち)」の中にある。「忮」は害する、つまりねたみ憎んで相手を害しようとすること。「求」は自分にないことを恥じて奪おうとすること。子路は喜んで一生この詩句を口ずさんでいた。それを聞いた孔子は、その詩の言葉どおりにしているだけでは、それが善が成立したというわけにはいかないのだ、軽くたしなめたのである。

 

 

 吉川氏が示唆するように、「何用不臧」と「何足以臧」とは韻をふんでいて、一種の言葉の遊びだとするなら、訓戒より少しひやかしを含んだ忠言となるだろうと桑原はいう。徂徠などは引用句の前後で、二つに切るべしといい、そういう解釈も存在する。

 

子路」、姓は仲、名は由、字名が子路孔子の弟子で、孔子より9歳年少。孔門では年かさの弟子。顔回(顔淵)とともに「論語」の二大脇役。 

 もとは遊侠の徒で、孔子にからみに来て論破され、心服して門に入ったという。率直勇敢な情熱家で、孔子に愛された。大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。彼が死んだとき、孔子は「天われを祝(た)てり」と嘆いたという伝説があるという。「祝」は「断」と同じ。  

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫