顔淵(がんえん)・季路(きろ)侍(じ)す。子曰わく、盍(なん)ぞ各々(おのおの)爾(なんじ)の志を言わざる、と。
子路が曰わく、願わくは車・馬・衣・軽裘(けいきゅう)、朋友(ほうゆう)と共にし、これを 敝(やぶ)りても憾(うら)むこと無けん。
顔淵曰わく、願わくは善に伐(ほこ)ること無く、労を施すこと無けん、と。子路が曰わく、願わくは子の志を聞かん、と。
子曰わく、老者(ろうしゃ)之を安んじ、朋友 之を信じ、少者 之を懐(なつ)けん、と。(「公冶長第五」26)
(解説)
「顔淵と季路(子路におなじ)とが孔子の側に侍立(じりつ)していたときの会話である。孔子「君たちは何を望んでいるか、順に言ってみよ」。
子路は、「車・馬・着物・皮衣、これらを友人と共用し、たとい使い古して破損しようと残念がったりいたしませぬ」。
顔淵は、「私は、己の善行を他人に吹聴して自慢したりすようなことなく、また、つらい骨折仕事を他人にさせるようなことはしないという気持ちです。」
子路「先生はどうお考えですか、お聞かせください」。
孔子「老人には心が安んぜられるように接し、友人にはまごころを尽し、後輩には慈しむ、そうありたい」。」(論語 加地伸行)
桑原の後半孔子のことばの解説、
「弟子2人は「願わくは」といっている。孔子はいきなり、老人には安心感を与え、友達からは信頼され、若い者たちからは慕われる、とだけいう。「之」は自分をあらわすけれども、ごく軽く自分を状況補語とする感じであろう。明確な客体意識があるわけではない。「願」という字がないのは、その状況がすでに孔子においては実現されているからだと徂徠は指摘する。孔子は自信をもって語っており、希望と現実とが融合された境地にあったというべきか。3人の性格描写が見事にできている」。
子路の性格を勇者、男の友情といった侠の境地にあこがれていたようだと言い、顔回については生真面目と桑原は表現する。
孔子のいうようなことが、現実社会に成り立てば、今あるような世代間ギャップを超越して、安寧な世界になるだろう。「希望」と「現実」ということが現代社会では一番難しいことでもある。
「季路(子路)」、姓が仲、名は由、子路は字名。顔回(顔淵)とともに「論語」の二大脇役。大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。
顔淵、孔門十哲の一人、孔子最愛の弟子とされる。顔回とも呼ばれる。顔淵が死んだのは、孔子61歳、顔回本人32歳のときと言われる。好学の士。
(参考文献)