子路(しろ)、石門(せきもん)に宿る。晨門(しんもん)曰わく、奚(いず)れ自(よ)りす、と。子路曰わく、孔氏自りす。曰わく、是れ其の不可を知りて之を為す者か、と。(「憲問第十四」38)
(解説)
子路が石門近くで泊まった。朝の門番が「どこから来たか」と問うた。子路が「孔子のところから」と答えたところ、門番がこう言った。「とてもできない話であることを知りながら、それでもまだするあの者のところからか」と。(論語 加地伸行)
「晨」は早朝で、「晨門」は麻の門番のこと。
内容はともあれ、門番と子路の会話という設定が楽しい。
「子路」、姓は仲、名は由、字名が子路。孔子の弟子で、孔子より9歳年少。孔門では年かさの弟子。顔回(顔淵)とともに「論語」の二大脇役。
もとは遊侠の徒で、孔子にからみに来て論破され、心服して門に入ったという。率直勇敢な情熱家で、孔子に愛された。大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。彼が死んだとき、孔子は「天われを祝(た)てり」と嘆いたという伝説があるという。「祝」は「断」と同じ。
「関連文書」
(参考文献)