子張 政を問う。子曰わく、之に居(お)りて倦(う)むこと無く、之を行なうに忠を以てす、と。(「顔淵第十二」14)
(解説)
子張が政治とは何かと質問した。孔子のこう教えた。「その官職についていて倦怠することがなく、仕事をするときはまごころを尽くすことだ」と。」(論語 加地伸行)
「公冶長第五」21では、衛の国の政治家「甯武士」を例にして、孔子はひとつの政治家の姿を示した。
「邦に道有れば、則ち知、邦に道無ければ、則ち愚」
「為政第二」21では、孔子自身の政治に対する姿勢の一部をみることができた。
「書に云う、孝か惟(こ)れ孝、兄弟に友に、有政に施せ、と。是れ亦 政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すに為さん」
「顔淵第十二」7では、「政」を問う子貢に対し、孔子は「食を足らし、兵を足らし、民 之を信ず」と答え、生活が基本にあり、「為政者への信頼がなければ、国家も人も立ち行かないのだ」と説いた。
「顔淵第十二」11では、斉国の景公へ、孔子の「政」の考えを示した。
「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」と。
「子張」、姓は顓孫、名は師、字名が子張。陳の人で、孔子晩年の弟子。もっと若く秀才といわれる「礼」の専門家といわれる。「史記」に、「師や僻なり」とあるように、時として正統を離れる異説を好んだようである。
その子張が、「政」とは何かと問い、孔子が「その官職についていて倦怠することがなく、仕事をするときはまごころを尽くすことだ」と説く。
弟子の性格を推し量り、「政」を説いたのだろうか。
(参考文献)