子曰わく、巧言・令色・足恭(そくきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)之を恥ず。丘も亦之を恥ず。怨みを匿(かく)して其の人を友とするは、左丘明 之を恥ず。丘も亦之を恥ず。(「公冶長第五」25)
(解説)
「孔子の教え。口先が巧み、顔つきが穏やか、歩き方が慎み深い、左丘明は恥じた。私もまた同じだ。その人への恨みを隠して友人づきあいをするようなことを左丘明は恥じた。私もまたそのなのだ。」(論語 加地伸行)
「左丘明」、諸説あって未詳だという。桑原は孔門の人々には熟知の人であったにちがいないと推測し、加地は孔子が敬意を払った人物という。
「足恭」、媚び諂うこと。
桑原の後半節の解説、
あるひとを憎みながら、それをかくして友達づきあいすることの「陋劣(ろうれつ)」であることはいうまでもない。友とするのというのは、もちろんここでは単なる交際というより、はるかに親密な関係を指しているにちがいない。
複雑な現代社会においては、感じの悪い、さらに憎むべき人物とも交渉を避けられないことが多い。それをすべて拒否しようとすれば、世捨人になるほかはなかろう。ただそのさいは、自分の気持ちを匿してはならないだろう。清濁あわせ飲むのでは困るからである。 (引用:「論語」桑原武夫)
孔子は、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)は仁に近し(「子路第十三」27)という。
巧言令色の対語と言われる。
参考にしてみてはどうだろうか。会社生活を含め色々な人との出会いがある。自分にとって「感じの悪い」と感じる人は意外に多いのかもしれない。
「関連文書」
(参考文献)