子曰く、巧言令色、鮮なし仁 (「学而第一」3)
日韓関係が悪化しているようです。
茂木先生ではありませんが、日韓の政治家、メディアをみていると、この言葉を思い出します。
政治もメディアも、よくわからない理屈で、ちょっとした得になるからと、日本と韓国の対立をあおって、一体何がしたいのか。着地点が見えているとはとても思わない。ふつうに隣国として行き交っている日本、韓国の一般の方々にとって、以上のような政治やメディアのふるまいは、迷惑でしかない。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2019年7月19日
巧言令色、鮮(すく)なし仁
(解説)
孔子の教え。「言葉を巧みに飾り立てたり、外見を善人らしく装うのは、「仁」すなわち他者を愛する気持ちは少ない。 (出所:「論語」加地伸行)
まさに、今の政治家やマスコミを言い表しているのかもしれません。
私も何度も韓国を訪問していますが、マスコミで報道するような、関係悪化を感じることはほとんどありません。たまたま、お会いする人が、日本に対して悪い感情を抱いていないだけなのかもしれません。 否、2人で日本語で会話しながら歩いても、街の中から何か妙なことを感じることもありませんでした。
長い時間を一緒に過ごせば、お互い心が打ち解けてくるもの。何か悪い感情をもっていれば、色々と表情に現れるものです。今までそうした人にあったこともなく、私自身もいい国だとの印象を強く持っています。
『韓国語と日本語は実は近いんですよ。同じ発音する言葉もありますから』
なんて会話もしたりしていました。
この章は人生一般について言われたのではなく、官界、政界などにおいて下位者が上位の権力者に対する際の態度について述べたのであろうと桑原はみる。
ここでの仁は公の徳、つまり人民の幸福を願う心というほどの意味である。私的な愛情を媒介とせず、真実ないし誠実が問題がされる領域での話であるという。
君主などに言葉巧みに、顔色をやわらげて取り入るような人物に人民の心などわかるものではない、との訓戒だという。
巧言令色、巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている。
「巧言令色、鮮なし仁」の反対語と言われるのが、
剛毅木訥は仁に近し
子曰く、剛毅木訥は仁に近し (「子路第十三」27)
意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、仁に最も近い者であるということ。
2018年の冬のオリンピック平昌大会、スピードスケート女子500mでの小平奈緒さんとライバルの李相花(イ・サンファ)さんの友情には多くの人が感動したのではないであろうか。
レース後に、2位に終わり泣き崩れる李さんに、小平さんが韓国語で「よくやったね」とねぎらい抱擁したシーンが感動的だと日韓両国で話題になった。
このお二人の姿が、政治世界から離れた両国の本当の姿ではないのかと思います。
お二人とも、特にうわべを取り繕ったようなもなく、ごく自然にふるまわれていたように見えました。
(参考文献)