子曰わく、賜(し)や、女(なんじ)は予を以て多く学びてこれを識(しる)す者と為すか、と。対(こた)えて曰わく、然り。非なるか、と。曰わく、非なり。予は一以て之を貫く、と。(「衛霊公第十五」3)
(解説)
孔子が尋ねた。「賜君よ、お前は私を多く学んでそれを記憶している者と思うか」と。子貢(賜)は答えた。「そのとおりと存じます。違いますでしょうか」と。孔子は言った。「違うな。私は、学んだ知識を一理(道徳)をもって貫通(統合)しているのだ」と。(論語 加地伸行)
「里仁第四」15で、孔子は曾子に「吾が道は一以て之を貫く」という。
これを聞いていた門人たちが曾子にその意味を問い、「夫子の道は、忠恕のみ」と説明する。
「忠恕」、「忠」は自己に対する誠実、「恕」は他人に対する思いやり。二つ合わせて人間に対する愛情ということになるであろうと桑原武夫は解する。
ふと疑問がわく。子貢と曾子の差はどこにあるのだろうか。
「子貢」、姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子より32歳年少。弁舌にすぐれた秀才で、利殖の道にもたけて孔門第一の金持になったという。
「言語には子貢」と評される。おそらくスマートでやや実直さに欠けるところがあったのかもしれないと桑原武夫は言う。しかし、「賜や達なり」(雍也第六」8)といって、孔子は子貢の見通しのよさを評価する。
完璧な人間などいないということでもあろう。
「関連文書」
(参考文献)