明日(めいじつ)遂に行(さ)る。陳(ちん)に在(あ)りて糧を絶つ。従者病みて能(よ)く興(た)つこと莫(な)し。子路(しろ)慍(うら)みて見(みま)えて曰わく、君子も亦(また)窮すること有るか、と。子曰わく、君子固(もと)より窮す。小人は窮すれば斯(すなわ)ちに濫(みだ)る、と。(「衛霊公第十五」2)
(解説)
その翌日、孔子一行は、色々とあって衛国から、出国となった。そして、陳国に滞在の折、困難に陥り、食糧がなかった。弟子たちは飢餓で立つことも出来ない状態になった。子路はむっとして孔子に食ってかかった。「君子教養人もまた追いつめられることがあるのですか」と。孔子は答えた。「君子教養人とて、もとより窮することがある。小人知識人は追い詰められると右往左往するのだ」と。(論語 加地伸行)
「関連文書」
(参考文献)