樊遅(はんち)仁を問う。子曰わく、処に居(お)りては恭(きょう)、事を執(と)りては敬、人に与(くみ)しては忠、夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖(いえど)も、棄(す)つ可からざるなり、と。(「子路第十三」19)
(解説)
樊遅が仁とは何でしょうかと質問した。孔子にこう教えた。「日常生活においては、自分を抑えて慎み深くし、仕事においては、他者に対して敬意を忘れず、集団生活においては、まごころを尽くす。野蛮な地に行っても、それを辞めないことである」と。(論語 加地伸行)
「樊遅」、姓は樊、名は須、字名は子遅。孔子の弟子。孔子より36歳年少。「季孫氏」に仕えたといわれる。同じく孔子の弟子の冉求の供として戦車に同乗し、勇敢に敵軍に攻め込む、勇士と称せられたという。しかし、「論語」ではいつも勘の悪い質問をして、孔子に「小人なるかな、樊須」(「子路第十三」4)と言われたりしていると桑原は指摘する。
孔子は、樊遅に対しては「君子」への道を説いていたのだろうか。
孔子は、その野蛮な夷狄をはげしく憎んでいたという。
君子之に居らば、何の陋しきことか之れ有らん
と「子罕第九」14では、そういっていた。
(参考文献)