葉公(しょうこう)孔子に語(つ)げて曰わく、吾が党に直躬(ちょっきゅう)なる者有り。其の父、羊を攘(ぬす)みて、子 之を証せり、と。孔子曰わく、吾が党の直なる者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直は其の内に在り、と。(「子路第十三」18)
(解説)
葉殿は孔子にこう弁じられた。「私の郷里の中に、それはもう真直ぐな者がおりましての。父親が羊を盗みましたとき、その子が父が盗んだに相違ありませぬと証言しました」と。孔子は言った。「吾が郷里の真直ぐな者は、それと違いまする。父は子の悪事を隠し、子は父の悪事を隠します。真直ぐ(直)の真の意味はそこにあります」と。(論語 加地伸行)
加地は、この章を東北アジアの感覚であるという。親子の情に配慮していることがその理由のようだ。今日の日本においてもその痕跡を確認できるという。刑法105条には、犯人の親族による犯人蔵匿や証拠隠滅の罪でも刑が免除することができると規定しているという。
「直は其の内に在り」
考えさせられる章のひとつである。
(参考文献)