「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らん】 Vol.324

 

子貢(しこう)問うて曰わく、何如(いかん)ぞ斯(すなわ)ち之を士と謂う可き、と。子曰わく、己を行なうに恥ずる有り。四方に使いして、君命を辱(はずかし)めず。士と謂う可し。

曰わく、敢(あ)えて其の次を問う、と。曰わく、宗族(そうぞく)孝を称し、郷党(きょうとう) 弟を称す、と。曰わく、敢えて其の次を問う、と。曰わく、言えば必ず信、行なえば必ず果。硜硜然(こうこうぜん)として小人なるかな。抑々(そもそも)亦(また)以て次と為す可し、と。

曰わく、今の政に従う者は如何、と。子曰わく、噫(ああ)、斗筲(としょう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らん、と。(「子路第十三」20)

 

  (解説)

子貢が尋ねた。「どういう人物をできる士と言えるのでしょうか」と。孔子はこう答えた。「実行してみて、もし自分に非道なことがあったならば、それを恥じる。どこに派遣されても、自国の代表として辱しめられるようなことなく行動する。これができる士だ」と。

子貢、「この際ですので、順位がその次のものをお尋ねします」。孔子、「一族から孝行と褒められ、郷里の人々から先輩を立てると評判がいい者だ」。子貢、「では、その次はいかがですか」。孔子、「言ったことはとにかく守ろうとし、行うときは必ず果たそうとする。型どおりの知識人だな。まあ、なんとか第三順位ということができる」。

子貢、「現在の為政者はどんなものですか」。孔子、「うーん、小さな器分ほどの凡才ばかりで計るに足りぬわ」論語 加地伸行

 

 

 

噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らん

「斗筲」とは、十升を計る斗と二升を計る筲の計量器のこと。

「算」、計量器を比喩に使っているので、「算」を使っているという。

子貢が、「今の為政者」について尋ね、孔子が「噫、小さな器ばかり」と嘆く

「政」、「為政者」においては古代から何も進歩がないのかと思うと、孔子のように「噫」と感嘆したくなる。稀代の為政者は「稀」にしか出現しないということなのかもしれない。そう思えば、登場する為政者に過度に期待したり、嘆くことが良くないのかもしれない。ただ古代に違って、現代には選挙制度がある。こうした制度が整った時代であれば、孔子はどういうのだろうか。

 

子貢、本名を端木賜(たんぼくし)といい、孔子より32歳年少。孔門十哲の一人。「言語に宰我(さいが)、子貢」(「先進第十一」3)と言われるように、弁舌にすぐれた秀才で、利殖の道にもたけて孔門第一の金持になったという。

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 「公冶長第五」4では、子貢が孔子に「自分のことを何如がか」と聞き、孔子は「瑚璉なり」と、貴重な器をたとえに最高であるといった。 この章では、主語こそ為政者であるが、 「斗筲」という器を喩えに使う。  

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 「賜や達なり」と、「雍也第六」8では、孔子は子貢の見通しのよさを評価していた。

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 論語の多くの訳者は、子貢の賢者ぶりを評価しつつも「仁」や「君子」の境地には達していないとの見方をする。前段で説明される「士」が子貢に欠けていたということなのであろうか。また、こうしたことが「君子」や「仁」に通ずる道なのであろうか。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫