「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【子路は行行如たり。冉有、子貢は侃侃如たり。子 楽しむ】 Vol.269

 

閔子(びんし)側(かたわ)らに侍(じ)す。誾誾(ぎんぎん)如(じょ)たり。子路は行行(こうこう)如(じょ)たり。冉有(ぜんゆう)、子貢は侃侃(かんかん)如(じょ)たり。子 楽しむ。曰わく、由が若(ごと)きは其の死然(しぜん)を得ざらん、と。 (「先進第十一」13)

 

  (解説)

「閔(びん)子騫(しけん)先生が孔子の側に在るとき、ふつうのさまであった。子路が勇ましく、冉有、子貢はなごやかに打ち解けていた。孔子は、その座の雰囲気を楽しんでいた。「由(子路)君は天寿を全うできるかな」と。論語 加地伸行

  

 「誾誾如」は中正のさま、「行行如」は勇壮なさま、「侃侃如」はなごやかなさま。「死然」は天寿を全うすること。この後、子路は非業の死を遂げるという。

 

 

子路」、姓は仲、名は由、字名が子路孔子の弟子で、孔子より9歳年少。孔門では年かさの弟子。顔回(顔淵)とともに「論語」の二大脇役。

もとは遊侠の徒で、孔子にからみに来て論破され、心服して門に入ったという。率直勇敢な情熱家で、孔子に愛された。大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。彼が死んだとき、孔子は「天われを祝(た)てり」と嘆いたという伝説があるという。「祝」は「断」と同じ。 

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 「冉有」、「冉求」とも呼ばれ、孔子より29歳年少の弟子。字名は子有。政治的手腕があり、季子の宰となった。孔門十哲の一人と言われる。

  

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)