「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【亦各々其の志を言うのみ】 Vol.281

 

子路、曾皙(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)、侍坐(じざ)す。

子曰わく、吾が一日 爾(なんじ)らより長(ちょう)ぜるを以て、吾を以てする毋(なか)れ。居(お)れば則ち曰(い)う、吾を知らざるなり、と。如(も)し爾を知らば、則ち何を以てせんや、と。

子路 卒爾(そつじ)として対(こた)う。曰わく、千乗(せんじょう)の国、大国の間に摂(せま)らる。加 之(しかのみならず)、師旅(しりょ)を以てし、之に因るに飢饉を以てす。由や之を為(おさ)むるや、三年に及ぶ比(ころおい)、勇有りて且(か)つ方を知ら使(し)む可(べ)し、と。

夫子(ふうし)これを哂(わら)う。求 爾は何如(いかん)、と。

対(こた)えて曰わく、方の六七十、如(も)しくは五六十、求やこ之を為むれば、三年に及ぶ比、民を足(た)ら使む可し。其の礼楽の(ごと)きは、以て君子に俟(ま)たん、と。赤(せき)爾は何如、と。

対えて曰わく、之を能(よ)くすと曰うには非(あら)ず。願わくば学ばん。宗廟の事、如しくは会同には、端章甫(たんしょうほ)して、願わくは小相(しょうしょう)と為らん、と。

点 爾は何如。瑟(しつ)を鼓(こ)することを希なり。鏗爾(こうじ)として瑟を舎(お)きて作(た)つ。対えて曰わく、三子者(さんししゃ)の撰(せん)に異なり、と。子曰わく、何ぞ傷(いた)まん。亦(また)各々其の志を言うのみ、と。

曰わく、莫春(ぼしゅん)には春服(しゅんぷく)既に成り、冠者(かんじゃ)五六人、童子(どうじ)六七人を得て、沂(き)に浴し、舞雩(ぶう)に風(ふう)して、詠(えい)じて帰らん、と。

夫子喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰わく、吾は点に与(くみ)せん、と。三子者出(い)づ。曾皙後る。曾皙が曰わく、夫(か)の三子者の言は何如、と。

子曰わく、亦各々其の志を言うのみ、と。曰わく、夫子、何ぞ由を哂うや、と。曰わく、国を為(おさ)むるには礼を以てす。其の言譲(じょう)ならず。是(こ)の故に之を哂う、と。唯(ただ)求は則ち邦に非ざるか、と。安(いずく)んぞ方六七十、如しくは五六十にして、邦に非ざる者を見ん、と。唯赤は則ち邦に非ざるか、と。宗廟会同、諸侯に非ずして何ぞ。赤や之が小たらば、孰(たれ)か能く之が大たらん、と。(「先進第十一」24)

 

  (解説)

子路、曾皙、冉有、公西華が孔子の側にいたことがあった。

孔子は言った。「私が少し年長だからといって、私に遠慮することはない。お前たち寄ると触ると、世の人は私の価値がわかっていないと不平を言っておる。では、もしお前を買おうという人が出てきたとき、何をしようとするのか」と。

すると子路がいきなりこう言った。「もし千乗の大国が、他の諸大国との間で切迫した状態にあったとしましょう。それだけではなくて、戦争があり、そこから来た飢饉があるとしましょう。そこの行政を私めが担当して三年に近づくころには、人々を勇気があり節度にかなった生活をするようにさせることができまするわ」と。

孔子は微笑した。そして、「求君、お前はどうだ」と問うた。

冉求は答えた。「方六七十里あるいは方五六十里くらいの小国でありますならば、行政を担当して三年になりますころになれば、人々に安定した生活をさせることができましょう。礼楽を教えるなど教化の方面につきましては、然るべき教養人を求め、その人に任せたいと思います」と。

孔子は続いてこう問うた。「赤君、お前はどうだ」と。

公西華はこう答えた。「私は、何ができるというわけではありません。もっと学びたいと思っております。そして、諸侯におきましての祖先の祭祀や会合などのときに、正装を身に着け、君侯のその儀式を担当する官となりたいと思います」と。

「点君、お前はどうだ」曾点は瑟を弾じていたが瑟の音が聞こえていた。しかし、からりと瑟を置き、立ち上がって、こう答えた。「私はお三方の考えと異なっております」と。しかし、孔子が「何も構わない。それぞれが自分の気持ちをいうまでなのだから」といい、(曾点はこう話した)「春も末の頃、新しい春服を着て、成人が五六人、童子が六七人、打ち連れて沂水へ行き、そこで顔や手を清め、舞雩、あの雨乞い壇に上って春風に吹かれつつ遊び、日暮れの頃、歌を唱いつつ家路につきたいと思いまする」と。

孔子は大きく溜息をついてこう言った。「私はお前の気持ちと同じだ」と。さて三人が退出し、曾点が最後となった。そのとき、曾点が質問した。「あの三方のお考えはいかがでありましょうか」と。

孔子は、「各々が自分の気持ちを述べたまでだ」と答えた。「先生はどうして由のときに笑われたのですか」。「国を運営するとなれば、礼をもってしなければならない。だが、子路のことばには謙譲さがなかった。それで笑ったのだ」。「それなら冉求の場合も国のことではありませんか」。「六七十里平方、あるいは五六十里平方とあれば、国でもないものはない」。「公西華の場合も国のことではありませんか」。「諸侯における祖先の祭祀や諸侯の会合であるから、国の場合でなくて何であろう。しかし、あの力量のある赤が儀式担当官で終わるならば、誰が執政(大相)となることができようか」と。」論語 加地伸行

  

 子路冉有、公西華の三人の弟子たちに、曾皙が加わり、各々に志を語る。

 桑原によれば、和辻哲郎は、「公冶長第五」8での孔子の評言が、この章ではそのままにそれぞれが自分で述べた形になっていると指摘したという。

 

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「曾皙」、 姓は曾、名が点、字名は皙。孔子の弟子の曾子(曾参 そうしん)の父。

 この章は、「曾皙」の地位をあげるために、「公冶長第五」8をふまえて後になって創作したものとの指摘があると桑原は言う。

 

「公西華」、姓は公西、名が赤、字名は子華。

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫