季康子問えらく、仲由(ちゅうゆう)は政に従わ使(し)む可(べ)きか、と。子曰わく、由や果。政に従うに於いて、何か有らん、と。
曰わく、賜や政に従わ使む可きか、と。曰わく、賜や達なり。政に従うにおいて、何か有らん、と。
曰わく、求や政に従わ使む可きか、と。曰わく、求や芸なり。政に従うに於いて、何か有らん、と。(「雍也第六」8)
(解説)
「季康子との対話。季康子「仲由が執政たりうるとするならば、その理由は何か」。孔子「果断でございます。由は執政として問題ありませぬ」。
季康子「賜の場合、執政たりうる理由は何か」。孔子「達見でございます。賜は執政として問題ありませぬ」。
季康子「求はいかがか」。孔子「多能でございます。執政として問題ありませぬ。」(論語 加地伸行)
「季康子」、魯国の実質的支配者である三桓氏の筆頭が季孫氏。季康はその当主。康は諡(おくりな)。魯の国の宰相で、その父季桓子はかつての孔子の同僚。
おそらく孔子晩年の問答であろうと桑原はいう。
若い政治家が孔子の弟子たちの政治能力を尋ねたのに対して、孔子がいちいちその長所をあげて、彼らは政治くらい楽にできるといった。畳句を三度繰り返し、全般的に韻文的な味わいを示していると桑原は解説する。
「仲由」は、子路のこと、「果」は果断のこと、つまり決断が立派であること。
「賜」は、子貢のこと、「達」は物事の道理に明るいこと。
「求」は、冉求のこと、「藝」とは多才であること。「政に従う」とは政治をするということだが、さらに大夫(家老)になることという解もあるという。
桑原は、弟子たちのそれぞれの独特の才能への確信を踏まえて、あたたかい先生の愛情を感じさせる。孔子の人柄をよく示した章であるという。
(参考文献)