子曰わく、苟(も)し我を用うる者有れば、期月(きげつ)のみにして可なり。三年ならば成る有らん。(「子路第十三」10)
(解説)
孔子がいった。もし私を用いて政治を担当させれば、一年でよろしい。三年ともとなれば、完成できよう、と。(論語 加地伸行)
「先進第十一」24では、子路、冉有、公西華の三人の弟子たちに、曾皙が加わり、各々に志を語たり、子路、冉有は自分が政治を担当したときの三年後の姿を語る。
「泰伯第八」12では、「三年学びて、穀いに至らざるは、得易からざるなり」(三年学んで、仕官して俸禄を得ることができない者は見当たらない)という。
時間が何かを解決してくれるわけではない。短い時間であれば、なおさらそうなのであろう。だが、そこに学びがあれば、解決できないものはないのかもしれない。ただ、それにも時間が必要となり、三年続けることができれば、完成に近づいていくのかもしれない。
(参考文献)