「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【未だ生を知らずんば、焉んぞ死を知らんや】 Vol.268

 

季路 鬼神に事(つか)うるを問う。子曰わく、未だ人に事うる能(あた)わずんば、焉んぞ能(よ)く鬼(き)に事えん、と。曰わく、敢えて死を問う、と。曰わく、未だ生を知らずんば、焉んぞ死を知らんやと。(「先進第十一」12)

 

  (解説)

「季路(子路)が鬼神を祭ることについて質問したことがあった。孔子はこう教えた。「もしまだ人にお事えすることがちゃんとできないでいるならば、どうして鬼にお事えすることができようか」と。すると子路は踏み込んで、「では死とは何でしょうか」と尋ねた。孔子はこう答えた。「もしまだ在世の親の意味、意義についてちゃんと理解できないでいるならば、どうして御霊の意味、意義についてきちんと理解することができようか」と。」論語 加地伸行

  

 「鬼神」の「鬼」は人間の霊魂、「神」の元来の意味は稲光で、天地山川の霊妙なもの。

 この章は、死にまつわる話なので、「親」という言葉を避け、一般論的に「人」という文字を使ったと加地は解している。

 「未知生、焉知死」だけを取り出し、「生のことがわからないのに、死のことがわかるはずがない」と解し、「死については考えない」、さらに「死について考えるのは無意味」とし、孔子は死について語らず無関心であったという解釈が、古来、一般的であったというが、それは誤解だと加地はいう。

 この章の前半が示すように、「鬼神」とりわけ「鬼」という霊魂問題を取り上げているように、後半も具体的な「死」の問題についての議論と加地は解している。もしあるいは、まだ、在世の親に対して十分に事えることができなかったり、親の意味がわからないのであるならば、親の霊魂や死の問題についてとても事えたり理解したりすうることはできないと孔子は言っているだけであるという。

 

「未だ人に事うる能わずんば、焉んぞ能く鬼に事えん」

 

 「為政第二」6では、孝を問う孟武伯孝に、孔子は、「父母には唯其の疾(やまい)をこれ憂えよ」と答えた。

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「未だ生を知らずんば、焉んぞ死を知らんや」

 

 「為政第二」5では、「生けるときは之に事うるに礼を以てし、死せるときは之を葬むるに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす」、孔子はいった。

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  「季路(子路)」、姓が仲、名は由、子路は字名。顔回(顔淵)とともに「論語」の二大脇役。大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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