子 衛の公子荊(けい)を謂う。善く室に居(お)る。始め有るに、曰わく、苟(かりそめ)に合(かな)えり、と。少しく有るに、曰わく、苟に完(まった)し、と。富みて有るに、曰わく、苟に美なり、と。(「子路第十三」8)
(解説)
孔子は、衛の国の公子、荊を高く評価していた。彼は、家政をみごとに運営した。はじめ、家財が少なかったとき、まあ、頃合いだと言った。やがて少し増えたとき、まあまあこれで十分だと言った。後に富み豊かになったとき、ま、ご立派と言った。(論語 加地伸行)
「荊」が財産に執着していなかったとし、身分相応の心得があった、と加地は解説する。
富みて有るに、曰わく、苟に美なり
「富と地位」を、孔子はどう考えていたかと「論語と算盤」の著者渋沢栄一は問う。
そして、「孔子が富と地位を嫌っていた」とするのは間違いであるといったことを思い出せる文章である。
真に、孔子が富を忌み嫌っているなら、かりそめにも「美」という表現はないように思ったりする。
「合」、「完」、そして、「美」、言い得て妙なのかもしれない。
「美」の解釈が問題になるが。
「述而第七」15では、「不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し」と孔子はいった。
渋沢がいうように、「孔子もまた自ら進んで、まっとうな生き方にかなった富や地位、手柄や名声を手に入れようとしていた」ということともいえそうだ。
(参考文献)