子路(しろ) 君に事(つか)うることを問う。子曰わく、欺くこと勿(な)れ。而(しか)して之を犯(いさ)めよ、と。(「憲問第十四」22)
(解説)
「主君にはどのようにして仕えるのでしょうか」と子路が質問した。孔子は答えた。「だましてはならない。そして、諫めることだ」と。(論語 加地伸行)
「子路」、もとは遊侠の徒で、孔子にからみに来て論破され、心服して門に入ったという。率直勇敢な情熱家で、孔子に愛されたという。
そんな子路からは、「任侠」という言葉を想像する。
「任侠」、弱い者を助け強い者をくじき、義のためならば命も惜しまないといった気性に富むこと。おとこ気。
「史記」の著者司馬遷は、世間の人々が游侠の志を知らず、チンピラのように見下すのは悲しいことだという(参考:Wikipedia )。
孔子が生きた春秋時代に「任侠」という言葉が生まれたという。もしかしたら、この二人の問答の影響もあったのだろうか。
臣は君に事うるに忠を以てす。 (「八佾第三」19)
「忠」、まごころには、騙さず、諫めるということも含まれるということであろうか。
「子路」、姓は仲、名は由、字名が子路。孔子の弟子で、孔子より9歳年少。孔門では年かさの弟子。
大国の軍政のきりもりを任せられる人材と桑原はいう。子路は晩年、衛の国に仕えるが、内乱に巻き込まれ殺される。彼が死んだとき、孔子は「天われを祝(た)てり」と嘆いたという伝説があるという。「祝」は「断」と同じ。
(参考文献)