「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【吾 大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり】 Vol.355

 

陳成子(ちんせいし)、簡公(かんこう)を弑(しい)す。孔子 沐浴して朝(ちょう)し、哀公(あいこう)に告げて曰わく、陳恒(ちんこう) 其の君を弑せり。請う之を討たんことを、と。 公曰わく、夫(か)の三子に告げよ、と。

孔子曰わく、吾 大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。君 夫の三子者(さんししゃ)に告げよと曰う。三子に之(ゆ)きて告ぐ。可(き)かず。孔子曰わく、吾 大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらず、と。(「憲問第十四」21)

 

  (解説)

斉国の陳成子が主君の簡公を弑したときのことである。孔子は髪を洗い、湯あみし身を清めてから、魯の政庁に参じ、哀公に申し上げた。「陳恒が主君を弑逆(しいぎゃく)しました。討伐することを請い申し上げます」と。すると哀公は、「あの三卿に話せ」との答えだった。

 孔子は言った。「私は大夫格の末席を汚しておりますゆえにこそ、君上に申し上げたのに、君上はあの三卿に告げよとのこと」と。そこで、三卿に討伐のことを述べたが、だれも聞き入れなかった。孔子は言った。「私は大夫の末席ゆえに、主張せざるを得なかったのだ」と論語 加地伸行

 

「陳成子」「陳恒」、斉国の宰相であったという。

「簡公」、斉の国の君主。

「三子」は、魯の実権を握っていた季孫子、孟孫子、叔孫子のこと。

 

 魯君と三子との間には絶えず対立する緊張関係があったといわれ、孔子は魯君哀公のために働こうと思っても、実質的には三子と妥協しながら、君主の地位や力を高めようとしていたという。

 

 

 「関連文書」   

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫