「有事の円」と言われたことが嘘のように円が急落している。2015年8月以来6年7か月ぶりに、円が一時125円の値を付けたという。 債券市場で長期金利が上昇し、日銀がこれを抑制するため、指し値オペを実施し、日米の金利差が拡大することから円安が一気に進んだといわれる。
「指し値オペ」とは、日銀が指定した利回りで国債を無制限に買い入れる仕組みで、長期金利の上昇を強力に抑制し、金利を日銀の目標に範囲に誘導することができるという。
ウクライナ危機も影響もあり、エネルギーや食糧価格が高騰している。円安はこうした輸入品の価格を押し上げる一方で、輸出企業が稼ぐ外貨建ての利益にはプラスに働く。
「為替の安定は重要であり、急速な変動は望ましくない」と松野官房長官が述べたという。また、首相はこうした物価上昇による国民生活への影響を緩和するため、緊急対策を検討するという。また税金を投入するのだろうか。
論語に学ぶ
哀公(あいこう) 有若(ゆうじゃく)に問いて曰わく、年饑(う)えて用足らず。之を如何せん、と。有若対(こた)えて曰わく、盍(なん)ぞ徹せざらんや、と。
曰わく、二も吾猶足らず。之を如何ぞ其れ徹せんや、と。対えて曰わく、百姓足らば、君 孰(たれ)と与(とも)にか足らざらん。百姓足らずんば、君 孰と与にか足らん、と。(「顔淵第十二」9)
哀公が有若に「近ごろ不作で費用が不足だ。どうすればよかろう」と尋ねた。有若は「どうして税率を十分の一になされませぬか」と答えた。
すると哀公は「十分の二の税でも不足なのに、それをどうして十分の一に下げられようか」と言う。有若は「もし民の生活が十分でありますならば、君上はだれと不十分となるのではありましょうか。もし民の生活が不十分でありますならば、君上はだれと十分となるのでありましょうか」と答えたそうだ。
「徹」とは、収穫に対する1割の税率で、徹法と称し、周王朝の下、通率とした。しかし、魯国では、宣公のとき、2割に変え、以後、それが魯国の定法となり重税であったといわれる。
円安になっても金利を低く抑制できれば、政府は国債の金利負担を低く抑制でき、財政の自由度が増す。物価対策として財政出動しやすいとも言えそうだ。しかし、それでいいのだろうか。
長引くコロナ禍に、ウクライナ危機、社会に閉塞感が漂い、出口が見ていないのではなかろうか。いつもの経済対策だけで、この悪い雰囲気を打破することはできるのだろうか。
樊遅(はんち)稼(か)を学ばんと請う。子曰わく、吾は老農(ろうのう)に如(し)かず、と。圃(ほ)を為(つく)ることを学ばんと請う。曰わく、吾は老圃(ろうほ)に如かず、と。樊遅出(い)づ。
子曰わく、小人なるかな、樊須(はんす)や。上(かみ)礼を好めば、則ち民は敢(あ)えて敬せざること莫(な)し。上 義を好めば、則ち民は敢えて服せざる莫し。上 信を好めば、則ち民は敢えて情を用いざる莫し。夫(そ)れ是(かく)の如(ごと)くんば、則ち四方の民、其の子を襁負(きょうふ)して至らん。焉(いずく)んぞ稼を用いん、と。(「子路第十三」4)
弟子の樊遅が田の作り方を教えていただきたいと願い出たことがあった。すると孔子は「私より手慣れた農民のほうがよく知っている」と答えた。樊遅は続いて畑の作り方をと言ったので、孔子は「私より手慣れた圃人(はたけつくり)がよく知っているぞ」と答えた。樊遅が退出したあと、孔子はこう言った。
「小人 知識人に終わっているな、樊須は。為政者(指導者)が道徳を大切にするならば、必ず民衆は尊敬する。為政者(指導者)が道義を重視するならば、必ず民衆は支持する。為政者が誠意を尽くすならば、必ず民衆は言い訳をしなくなる。そのようであれば、四方の人々がぜひにと、その子を襁(むつき)で背負って集まってくるだろう。どうして為政者が農業の振興を第一とすることがあろうか」と。
為政者、指導者として、君子と為ろうとする者には、専門的な知識よりも、もっと学ぶべきことがあると孔子は言わんとしているという。
通貨の価値は国の実力でもある。安全通貨であった円が、円安に振れるということは、認めたくないのかもしれないが、それだけ国の実力が低下している表れなのかもしれない。
今のままで国の実力が向上していくことはあるのだろうか。 ウクライナ危機によって、この先世界は変化していくのかもしれない。それは機会であると同時に、選択を間違えれば、坂道を転げ落ちていくことにもなりかねない。
「参考文書」
円、一時125円台に下落 1日で3円以上円安進む: 日本経済新聞