子曰わく、由よ、女に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るは知ると為し、知らざるは知らずと為す、是れ知るなり。(「為政第二」17)
(意味)
「由君よ、君に知るとは何か、教えよう。知っているとは知っているとし、知らないことは正直に知らないとする。それが真に知るということなのだ。」(論語 加地伸行)
「由」、姓は仲、名は由、字名が子路。孔子の弟子で、孔子より9歳年少。孔門では年かさの弟子。もとは遊侠の徒で、孔子にからみに来て論破され、心服して門に入ったという。率直勇敢な情熱家で、孔子に愛された。彼が死んだとき、孔子は「天われを祝(た)てり」と嘆いたという伝説があるという。「祝」は「断」と同じ。
あの有名なソクラテスの「無知の知」とおおむね同じ意味であろうか。
「自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるとする、ソクラテスの真理探究への基本になる考え方。」(出所:コトバンク)
桑原は、この章を文字通り素直に読んでおくべきであり、人生におけるもっとも立派な教えのひとつであるという。
知っていることと、知っていないこととの区別を明確にすることが、個人としては、行動を明確にするし、また、学問、技術などの進歩のもとになる。また、人類全体としてみれば、その区別を明確にすることによって、未知の領域の開発が可能になる。地理上の探検はすでにおおよそ終わったにしても、人間の世界では、未知の領域のほうがまだ既知のそれより広大なのだ。 (引用:「論語」桑原武夫 P56)
(参考文献)