子曰わく、徳孤ならず、必ず鄰(となり)有り。(「里仁第四」25)
(解説)
「人格のすぐれている人は、けっして独りではない。必ず人が集まってくる。」(論語 加地伸行)
劉備玄徳、多くの人材を集め、蜀を建国とした。三国志では、徳の人として描かれる。作家 北方謙三が描く劉備玄徳像は少し違う。
北方の著作「三国志」の劉備玄徳はどちらかといえば、激昂タイプ。劉備のまわりに集まった人間が徳があるよう振舞うことを求めたように描く。劉備の取り巻きは、「徳」重要性を認識していたのかもしれない。もしかして彼らも論語を学んでいたとしておかしくはなかろう。
遠い過去のこと、何が史実かわからない。蜀という国が存在し、人材がそこに集まっていたということは事実なのかもしれない。
幕末の志士から日本資本主義の父と言われるまでに成長した渋沢栄一。残る記録も多い。論語を愛読し、「論語と算盤」という著作を残している。
徳孤ならず、必ず鄰有り
栄一は生まれながら徳をもっていたのだろうか。高崎城を乗っ取り、横浜を焼き討ちにして倒幕しようとした尊王攘夷派の志士だった栄一は、いつの間にか慶喜の家臣の一員に加わっていた。そうした姿からすれば、徳は後々に体得したと思うのが自然であろう。若いときに学んだ論語を、時々の境遇の中で実践、智慧に昇華させていったのかもしれない。
桑原は、「徳」とは、道徳であると解説する。
「道徳とは特定の社会の風習を踏まえて、その法則的理念化として生まれるものである。したがって道徳が個人的特殊性の中に限界づけられるということは、矛盾であり、ありえないはずである。しかし、現実社会では道徳は個人を媒介にしてしか発現されることはなく、そのさい個人のもつ内外の諸条件によって、変容することもまた明らかである」と指摘する。
栄一が関与し立ち上がった企業は数多く、今なお事業を続ける。こうした記録は残っている。そうした事実と照らし合わせれば、徳の人渋沢栄一も、また事実なのだろう。
乱れた世の中で道徳、論語の理想を貫くことは、一見孤立無援の闘いのようだが、もともと普遍的ものである道徳には必ず同行者、理解者つまり友があるという確信を孔子はこの章で表明する。
その栄一は、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」に描かれることになった。どんなストーリーになるのか、今から楽しみである。
(参考文献)