「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【剛毅木訥は仁に近し】 Vol.331

 

子曰わく、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)は仁に近し。(「子路第十三」27)

 

 (解説)

孔子の教え。物欲に左右されないこと(剛)、志がくじけないで勇敢であること(毅)、質朴で飾り気のないこと(木)、口下手であること(訥)、それぞれ人の道に近い。論語 加地伸行

 

 孔子の剛毅朴訥のイメージには、寡黙な愛弟子顔回のことがあったのだろうか。 

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「剛毅」「朴訥」の反対語が、「巧言」「令色」と言われる。 

 巧言令色鮮なし仁 (「学而第一」3)

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 この章で、文学者で桑原は、「文学を学ぶとは内容を伝達するだけでなく、言葉を巧みにすることである」といい、「秀れた言葉がまずい結果を生むことがあるのである」と解説した。

真実は堂々と公言すべきである。しかし、正しいことならどんなに不味い表現で仏頂面をしてわめいてもよい、ということには決してならない。文明社会とは、内容の真実を美しい形式と調和させる努力ということではなかろうか。素朴実在論を基調とする日本社会は、「巧言令色」を排撃するのあまり、個物における美的洗練は実現しえたけれども、社会的人間関係における洗練と調和を十分に育てえなかったのではなかろうか。 (参考:論語 桑原武夫

 孔子は社会生活全般において粗野を奨励したのではなく、それが一般原理として受け取られてしまい、甚だ悪い影響を残していると桑原は指摘する。

 

 

巧言令色、足恭(そくきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)之を恥ずと、「公冶長第五」25にはある。

「足恭」、媚び諂うこと。

 巧言令色を「足恭」の道具に使うことは恥ずべきことということなのかもしれない。

 

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君子は言に訥(とつ)にして、行ないに敏ならんことを欲す。(「里仁第四」24)

 

 巧言令色ができず、たとえ無調法なしゃべり口でも、行動が敏捷であれば、それはそれで君子といえるということであろうか。 

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 コミュニケーションの基本は、表現豊かな言葉、そして、表情であるということに間違いはないだろう。巧言令色足恭はまずいにしても、あまり無骨すぎるのもいかがかなと思う。

 

 

剛毅木訥は仁に近し

「剛毅木訥」そのものが「仁」ということではなく、「仁」に近いということであろうか。 

「公冶長第五」11で孔子は、「吾 未だ剛者を見ず」という。これに対し或る人が、「申棖(しんとう)」というものがあると答える。孔子は、「棖や慾あり。焉んぞ剛たるを得ん」という。

  徳川家康はもしかしたら、「剛毅木訥は仁に近し」を体現した人なのかもしれない。

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「関連文書」

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【君子は泰して驕らず。小人は驕りて泰ならず】 Vol.330

 

子曰わく、君子は泰して驕らず。小人は驕りて泰ならず。(「子路第十三」26)

 

  (解説)

孔子の教え。教養人(君子)は、堂々としているが驕り高ぶったりしない。知識人は、驕り高ぶりはするが堂々とはしていない。論語 加地伸行

  

「泰伯第八」11では、「如(たと)い周公の才の美 有るとも、使(も)し驕(たかぶ)り且つ吝(おし)めば、其の余(よ)は観るに足らざるのみ」と、才があっても、驕りがあれば、観るに足らずという。

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「里仁第四」2では、「不仁者は以て久しく約に処(お)らしむ可(べ)からず。以て長く楽に処らしむ可からず」という。

 不仁者は、富貴の境遇においては自制心を失って、驕りたかぶるという。 

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「八佾第三」22では、「管仲の器小なるかな」といい、その非礼を断じた。実力で権力を手に入れたとき、人は驕り、非礼になるということであろうか。 

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 管仲は、どんな面持ちでであったのだろうか。虚勢を張ったところで、心にゆとりはあったのだろうか。

 心のゆとり、落ち着きがあってこそ、泰然とした態度になるということなのかもしれない。 

 

「関連文書」

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【君子は事え易く、説ばしめ難し】 Vol.329

 

子曰わく、君子は事(つか)え易く、説(よろこ)ばしめ難し。之を説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。其の人を使うに及んでは、之を器にす。

小人は事え難く、説ばせ易し。之を説ばしむるに、道を以てせずと雖(いえど)も、説べばなり。其の人を使うに及んでは、備わらんことを求む。(「子路第十三」25)

 

  (解説)

孔子の教え。君子 教養人が上司であると働きやすいが、喜ばせるのは難しい。もし喜ばせようと思っても、道理に従ったものでなければ、喜ばないからである。また君子が人を使うとき、適材適所に配置する。

 小人 知識人が上司でありと働きにくいが、喜ばせるのは難しくない。もし喜ばせようと思えば、道理に従ったものでなくとも、喜ぶからである。また、知識人が人を使うとき、働きは万能であり結果は完全でないと承知しない。論語 加地伸行

 

 

「少々経験が足りないくらいで、威張るようなことはしたくない」、そう言ったのは、 「論語と算盤」の著者 渋沢栄一。「人は平等でなければならない」という。

 ただ、その平等は、ケジメや礼儀、譲り合いがなければならないという。 

人が活動する天地は、自由なものでなければならない。渋沢の下にいては舞台が狭いというのなら、すぐにもでも袂を分かち、自由自在に海原のような大舞台に乗り出して、思うさまやれるだけの働きぶりを見せてくれることを、私は心から願っている。 (引用:「論語と算盤」P29)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

 

 また、栄一は適材適所の重要性を説く、一方、その難しさを感じる事柄でもあるという。

  適材を適所で得たいという。「適材が適所で働き、その結果として、何らかの成績をあげることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である」という。そして、それが栄一自身が国家社会に貢献する道になるという。

  栄一の言葉から、「仁者は、己立たんと欲すれば人を立つ。己達せんと欲すれば人を達す」(「雍也第六」30)を連想する。 

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 しかし、その一方で、礼にならい行動しても、それを妬む人も現れるのが常なのかもしれない。 

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 人が集まる組織運営の難しさ、適材適所の難しさということなのかもしれない。

 人の世には様々な人が存在するということなのだろう。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

【郷人の善者 之を好み、其の不善者 之を悪むに如かず】 Vol.328

 

子貢(しこう)問いて曰わく、郷人(きょうじん)皆 之を好めば、何如、と。子曰わく、未だ可ならざるなり。

郷人皆これを悪(にく)めば何如、と。子曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善者 之を好み、其の不善者 之を悪むに如(し)かず、と。(「子路第十三」24)

 

  (解説)

子貢が質問した。「その土地の人のだれもが、善い人との評判がありましたらどうでしょうか」と。孔子は、「まだ善人とは言えない」と答えた。

 「その土地の人の誰もからも憎まれておりましたら、どうでしょうか」と。孔子は答えた。「まだ善人とは言えない。その土地の善人が善いとし、悪人が悪むことがあってはじめて、ほんとうの善人と言える」と。論語 加地伸行

 

「里仁第四」3では、「唯仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む」、といい、心ある仁者は、善い人と、悪い人を見極めることができるという。

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 人の世には常に、善と悪が存在するのかもしれない。

 

「顔淵第十二」16では、「君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是に反す」といい、君子が、他者の悪名があればそれを消滅させるの対し、小人はこれと逆の行為をするという。 

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 「善人は世に受け入れられない」、ということが常なのかもしれない。

   

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず】 Vol.327

 

子曰わく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。(「子路第十三」23)

 

  (解説)

孔子の教え。教養人は、和合するが雷同しない。知識人は雷同するが和合しない。論語 加地伸行

  

社会は多様な人間が存在して成立する。その中に、君子や小人も含まれるのかもしれない。加地は、小人を知識人と解する。

 

 

「雷同」、考えもなく他の説に同調すること

 国連で採択された「持続な可能な開発目標」SDGsが社会に浸透してきたのだろうか。小さな流れも、いくつも集まれば、大きな流れになっていく。大きな流れができれば、多くの人がそれにたなびき、さらに大きな潮流になっていく。

 

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 君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る

と、「里仁第四」16では、そういう。

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SDGsの先駆者たちは、その理念を理解し、達成を目指していくのかもしれない。目ざとい人たちは、その大きな流れに利を求めるのかもしれない。

 

 吾が道は一以て之を貫く

と、孔子はいい、それを曾子は「孔子の人生は、まごころ(忠)と思いやり(恕)と、それ尽きる」といった。(「里仁第四」15)

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「忠恕」、SDGsの原則、「誰一人取り残さない」に近いのかもしれない。

 

礼の用は、和を以て貴しと為す

「学而第一」12で出てくる有子の言葉。

そして、先王の道は斯(これ)を美と為す。小大之に由れば、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦(また)行なう可(べ)からず、と続く。

 和を以て貴しと為すと遠い過去からそう言われるように、「和」は、「善」とみなされてきた。しかし、それが行き過ぎると「馴れ合い」や「なあなあ」になり、マナーやモラルの乱れにつながったいく。 

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  近ごろのSDGs活動を見ていると、そんなことを感じる。SDGsは本来、モラルのような規範(礼)になるようなものではないのではなかろうか。

  

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【其の徳を恒にせざれば、或に之に羞を承くるのみ】 Vol.326

 

子曰わく、南人(なんじん)言える有り。曰わく、人にして恒(つね)無くんば、以て巫医(ふい)を作(な)す可からず、と。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或(つね)に之に羞(はじ)を承(う)くるのみ、と。子曰わく、占わざるのみ、と。(「子路第十三」22)

 

  (解説)

孔子の言葉。南国の人の諺に「人間としてあるべきなのに、言うこと為すこといつも変わる者は、巫者でも医者でも治すことができない」と。いい言葉だ。「あり方が不動でなければ、常に恥をかく」ともある。孔子は「占わなくてもいい」といった。論語 加地伸行

  

「其の徳を恒無きも、羞辱(しゅうじょく:はずかしめ)常に至る」。

「易」の恒(こう)の卦(か:九三の爻)の辞(ことば)を引用し、「不動でないものは常に凶」であるから、孔子は「占わなくてもいい」といったと加地は補足で解説する。

 

 恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかる

「学而第一」13で出てくる有子の言葉。

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

 

【中行を得て之に与せずんば、必ずや狂狷か】 Vol.325

 

子曰わく、中行(ちゅうこう)を得て之に与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有り。(「子路第十三」21)

 

  (解説)

孔子の教え。中庸(中行)の道を行く人と出会えず、その人とともに歩むことができないならば、やむなく仲間に選ぶのは、狂者や狷者か。狂者には進取の気持ちがある。狷者には汚れたことはしない気持ちがある。論語 加地伸行

  

「狂狷」、志が高くいちずに理想に走り、意志が堅固なこと

 

孔子は「雍也第六」29で、「中庸の徳為る、其れ至れるかな。民 鮮なきこと久し」という。 

 

「中」は偏らず、過ぎたると及ばざるとのないこと。

「庸」は平常、あたりまえで変わらないこと。

 

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 ならば、「狂狷」の人を友として選ぶ方がまだましかということであろうか。それほど人の性格は多種多様であるということなのだろう。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
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