「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん】今川義元と子氏真 Vol.65

  

 子曰わく、管仲の器小なるかな、と。或ひと曰わく、管仲倹なるか、と。曰わく、管氏三帰(さんき)有り。官事(かんじ)摂(か)ねず。焉(いずく)んぞ倹なるを得ん、と。然らば則ち、管仲は礼を知るか、と。曰わく、邦君は樹(た)てて門を塞ぐ。管氏も亦樹てて門を塞ぐ。邦君両君の好(よし)みを為すに、反坫(はんてん)有り。管氏も亦反坫有り。管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん、と。(「八佾第三」22)

(意味)

孔子が「管仲の器量は小さい」とおっしゃられたので、ある人が問うた。「それは管仲がケチな男ということですか」と。孔子はこう答えられた。「管殿は三か所もの邸宅を構えており、それぞれ家臣が専任でいる。どうしてケチであろうか」と。すると「そういう贅沢をしていましたのなら、臣としての礼が分かっていたのでしょうか」問い重ねてきたので、孔子はこうおっしゃった。「国君の場合、域内にあるその邸第の門を入ると、前に目隠し用の土塀を作っている。管殿は自邸の門内に土塀を築いていた。また国君の場合、諸侯が出会い友好を深める際、会場となる堂に反坫という土製の台を設け、儀式で酒を使うとき、そこに杯を置く。この反坫を家臣の管仲が自邸の堂に設けていた。管殿をもし臣としての礼が分かっていたとするならば、この世に礼を知らぬ者などはない」と。」論語 加地伸行

 

管仲」、孔子より百年以上も前の人で、斉の国の実力者だったという。

 国君の桓公を覇者にしたという。覇者とは、実力のなかった国王の下で、諸侯を率いた事実の最高指導者。 

 

 

 史実を解き明かすのは歴史学者の役目かもしれない。史実と異なるかもしれないが、歴史上の人物をドラマなどを通して楽しみながら知ることができる。 

 今川義元は、京風を身に纏った戦国大名に描かれることが多い。そして、その義元は桶狭間で武人信長との戦いに敗れ、憤死する。

 義元は一代で領土を拡大し、守護大名から戦国大名に変わった。内政、外交、軍事に辣腕を振るい、才気ある武人のように思えるが、ドラマでは京風を身に纏い、古式武士とのイメージがつきまとう。

 

【管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん】

 

駿河遠江の盟主になり、家柄もあり、保護した公家の影響で京風に染まってしまったのか。いつしか、箍が緩み、武士としての矜持を忘れたことで桶狭間の戦いに敗れたのだろうか。  

 義元の子、氏真は暗愚と見られることが多い。大名家としての今川が滅ぼしたが、生き続け、家康の家臣となった。家康へほんとうの「礼」を尽くした結果だったのだろうか。そんな氏真の生き様も悪くないと思う。

 

 

 私の友は、「英雄とは天寿を全うした者」と定義する。それに従えば、氏真は英雄だ。

驕りよりも「礼」が大切ということを教えてくれているように思う。

 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)