子曰わく、知 之に及ぶも、仁 之を守る能(あた)わざれば、之を得ると雖(いえど)も、必ず之を失う。知 之に及び、仁 能(よ)く之を守るも、荘(そう)以て之に莅(のぞ)まざれば、則ち民 敬せず。知 之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に莅めども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善(よ)からざるなり。(「衛霊公第十五」33)
(解説)
孔子の教え。「知識、学問が十分であっても、道徳を守ることができなければ、たとい地位を得たとしても、きっと失うだろう。知識、学問があり、道徳的であっても、どっしりとした態度で接しなければ、人々は敬意を払わない。知識、学問、道徳、厳かな態度がそろっていても、人々に仕事をさせるとき、人間として遇する礼儀をもってしなければ、まだ善しとすることはできない」。(論語 加地伸行)
「之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善(よ)からざるなり」とは、どういことなのだろうか。
「八佾第三」22で、孔子は 斉の国の実力者「管仲」の非礼を非難する。
一方で、「憲問第十四」17で、子貢が「管仲は仁者に非(あら)ざらん」と言ったのに対し、武力を使わず平和裏に会盟に持ち込んだ管仲の功績を称えた。
「之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善(よ)からざるなり」とは、「管仲」がモデルになっているのだろうか。
斉の国の名宰相として管仲と並び称される晏平仲を孔子は「公冶長第五」17で評価する。「晏平仲 善く人と交わる。久しくしてもこれを敬す」と。
「あけっぴろげで、こだわりなく誰とでもつきあう。相手は、晏先生は気軽なお方だ、などと軽く考えて交際を続けるうちに、彼には叡智と毅然としたところがあることをしだいに発見して、立派なお方だ、ああいう方につき合っていただいているのはありがたいことだ、と思うようになってしまう。いかにも天成の政治家だ」と、孔子がいったのであろう、と桑原は解説した。
人の評価は難しい、歴史に名を残す名宰相であっても、その評価は分かれたりするのだろう。
「善く」とは、何を意味するのだろうか。
「善く人と交わる」の善くとはどういうことか。まさか上手に、つまり利益のありそうな人とだけきれいに交際するという意味ではあるまいと桑原は解説する。
「私は日本語の「よく」の感じで、好んでと解したい」という。
「之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり」
「知」「仁」「荘」に加え、「礼」を伴うことがより好ましいということであろうか。それとも、「礼」が加わることで「善」に昇華するということであろうか。
「善を挙げて不能を教うれば、則ち勧めしめん」と、「為政第二」20にある。
善人は登用されることが少ないから、世の中が不善者ばかりになるのかもしれない。
「知 之に及び、仁 能く之を守るも、荘以て之に莅まざれば、則ち民 敬せず」。
「知 之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に莅めども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり」
身に着けるべき智慧ということなのだろう。
(参考文献)