「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【君子は小知す可からず。而して大受す可し。小人は大受す可からず。而して小知す可し】Vol.412

 

子曰わく、 君子は小知(しょうち)す可(べ)からず。而(しか)して大受(たいじゅ)す可し。小人は大受す可からず。而して小知す可し。(「衛霊公第十五」34)

 

(解説)

孔子の教え。「君子 教養人は専門的知識が十分ではない。しかし、大任を果たすことができる。小人 知識人は大任を果たすことができない。しかし、専門的知識については優れている」。論語 加地伸行

  

「君子は器にならず」(「為政第二」12)と孔子はいう。

君子は様々な「器」を使いこなす立場にあるのであって、特定の技術者であることを避けるべきだとする。 

君子は専門家ではない

器はすべて特定の用途のために作られ、それ以外の用途には適さない。舟は水に浮かべるが山に登れない、車は陸を行くが海は渡れない。

君子は用途のせまい器のような専門家であってはならない」

論語 桑原武夫) 

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 孔子生きていた当時は、偉い人は多芸であってはならない。専門技術者はそれに使役されるべき人間に過ぎない、というのが、社会の通年であったらしいと桑原はいう。

 

「君子は多ならんや、多ならん」(「子罕第九」6)と孔子はいう。

  君子 紳士たるもの、多芸であってはいけないのだという。 

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 その孔子は、「吾試(もち)いられず。故に芸あり」(「子罕第九」7)と言ったという。 

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博学にして名を成す所無し (「子罕第九」2)

  今も昔も専門の看板を掲げて、この一筋に生きている、ほかのことについては一切無知であるという顔するのが、純粋に見えて出世の早道であった。雑学はいつも貶(けな)し言葉である。 

孔子はたいへんな博学だったが、専門家づらをしたことがないと桑原武夫はいう。

「それじゃ、私は何を専門にすればいいのかな。御者になろうか、射者になろうか。私は御者がいいな」と、側近の弟子たちにややユーモラスにいったのである (論語 桑原武夫

 当時の紳士は、「礼」「楽」「射」「御」「書」「数」という六藝を知っておかねばならなかったという。 

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「君子は言に訥(とつ)にして、行ないに敏ならんことを欲す」(「里仁第四」24)

と、孔子は、君子としての実践における決断の重要さを説く。 

 

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  孔子は子夏に、「女(なんじ)君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ」(「雍也第六」13)という。

 「君子の儒」とは天下の事に責任をもち、民が安んずる志を持つものであり、「小人の儒」とは自分一身を善くするにとどまって、社会的影響を持ちえぬ者であろう。人を治める学と人に治められる学といってもよいと、桑原は解説した。 

 

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 「君子」、「小人」、その差は「志」にあるということであろうか。

 

  (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫