子路(しろ)が曰わく、君子は勇を尚(たっと)ぶか、と。子曰わく、君子は義を以て上(じょう)と為す。君子も勇有りて義無くんば、乱を為す。小人 勇有りて義無くんば、盗を為す。(「陽貨第十七」20)
(解説)
子路がいった。「君子 教養人は度胸を尊重しますか」と。孔子はこう答えた。「君子 教養人は大義を第一とする。だから、君子とてただ度胸があるだけで大義がなければ、反逆者となる。小人 知識人とて同じこと。反乱者となるだけのことだ」。(論語 加地伸行)
「子路」、もとは遊侠の徒で、孔子にからみに来て論破され、心服して門に入ったという。率直勇敢な情熱家で、孔子に愛された。
姓は仲、名は由、字名が子路。孔子の弟子で、孔子より9歳年少。孔門では年かさの弟子。
その子路が「君子は勇を尚ぶか」という言葉を発するの自然なことのかもしれない。
「君子は義を以て上と為す」といい、「君子も勇有りて義無くんば、乱を為す」といって子路を諭したのだろうか。何か自然な会話のように聞こえる。
蛮勇をとがめ、義憤でなければ、それは反逆行為になるということであろうか。
「蛮勇」、理非を考えず、むやみやたらに発揮する勇気。向こう見ずの勇気。
「義憤」、道義に外れたことに対して発するいかり。不正に対する怒り。
「義を見て為さざるは、勇無きなり」との言葉もそうしたことから生まれるのだろう。
しかし、その「義」も、己の欲を捨て、公のために尽くすそうとする「条理」がなければ、不義になる。
「条理」、物の道理、物事の筋道。自然の理法を意味するという。
社会秩序も条理を基礎に成り立ち、「条理」は法解釈の指針となるという
「天地自然の理法」、太陽は東から上れば、朝を迎え、陽が西に沈めば、夜になる。雨が降れば、人は傘をさす。極めて当然のこと。雨なのに傘をささなければただ濡れるだけのことである。
孔子は、「温(なご)やかにして厲(はげ)し。威ありて猛からず。恭(つつし)むあるも安し」であったという。
そうあることの方が「天地自然の理法」に適っているような気もするし、そんな人格を形成できれば、「大人」ということなのかもしれない。
「関連文書」
(参考文献)