孔子曰わく、生まれながらにして之を知る者は、上(じょう)なり。学びて之を知る者は、次なり。困(くる)しみて之を学ぶものは、又其の次なり。困しみて学ばざる、民 斯(こ)れ下(げ)と為す。(「季氏第十六」9)
(解説)
孔子の教え。「生まれつき道徳を理解している人間が、最高である。学ぶことによって道徳を理解する者は、それに次ぐ。努力して道徳を学ぶ者は、さらにそれに次ぐ。努力はするものの道徳を学ぼうとしない、そういう人々、これは最低である」。(論語 加地伸行)
「之」を加地は道徳として解する。
「困」は、「困る」ことではなく、「学ぶ時の努力」という。
「之」を「道徳」すると、少し重い気がする。「学び」の大切さを説いているのであろうし、自分の歩む道に活かされれば、それは智慧となるのだろう。
子曰わく、君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざる可きか。(「雍也第六」27)
「子罕第九」11では、 顔回が、同じ言葉を用いて孔子の教導について述べている。
「之」、「文」ということなのだろうか、それともこの「論語」ということなのであろうか。
(参考文献)