子曰わく、 民の仁に於けるや、水火(すいか)よりも甚だし。水火は吾(われ)蹈(ふ)みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。(「衛霊公第十五」35)
(解説)
孔子の教え。「人々にとって道徳は、水や薪よりもずっと大切なものなのである。水や薪 ー 生活、ここに生命を賭ける者が普通だ。しかし、道徳的な生き方に生命を賭ける者はなかなかいない」。(論語 加地伸行)
加地は「仁」を「道徳」として読んでいるが、少々教訓的に聞こえてしまう。
「論語」の始まりの章「学而第一」に、「仁」を説く章がいくつかある。
「君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟は其れ仁の本為るか」(「学而第一」2)
コミュニティの最小単位のひとつに家族がある。その家族にも家族愛、孝悌があってその家族は成立する。少々堅苦しい表現だが、家族が互いに認め合い、思いやるということであろうか。孔子はこれが「仁」の本とする。
「仁」とは 、誠実な人間愛、人間が他者を愛するヒューマニズムの根本ということであろうか。
「謹みて信、汎く衆を愛して仁に親(ちか)づけ」(「学而第一」6)
「仁」、「仁」字の「二」は敷物を表し、「仁」は人がその上に座る形で、『暖かい、なごむ』の意味となり、抽象化されたと、加地は解説する。
「仁」、道徳の根幹のひとつということなのであろう。
「民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾 蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり」
人々にとって、何よりも大切なことは「仁」ということであって、水火(生活)のために人生を投げ出す人はいても、ヒューマニズム、誠実な人間愛「仁」を踏んで歩む人が死ぬようなことはない。無視されるはずがない、ということであろうか。
中庸の徳為る、其れ至れるかな。民 鮮(すく)なきこと久し。(「雍也第六」29)
「中」は偏らず、過ぎたると及ばざるとのないこと。
「庸」は平常、あたりまえで変わらないこと。
「中庸の徳」、これまた「道徳」の根幹のひとつなのだろう。
こうした「仁」や「道徳」を身に着けた人が少ないと孔子はいう。
なかなか収束しない「コロナ渦」。3密の都会を避け、地方移住する人々がいる。
時短営業を求められるが従わない人々もいる。
水火は吾 蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり
今、真に他者を思いやる心「仁」が求められている。
ドイツのメルケル首相が、イースター(復活祭)前後の5日間に厳格なロックダウン(都市封鎖)を実施する計画を撤回したとブルームバーグが報じる。
批判が大きく広がったことが、影響しているようだ。
「極めて明確にしたいのは、これは他の誰でもない私の誤りだということだ。最終的な責任は私にあるからだ」と述べ、「今回のことを深く後悔しており、全国民に謝罪する」と言明した。 (出所:ブルームバーグ)
国民に対する思いやりを示せば、感染対策に遅れが生じかねない。感染リスクが残り、生命への脅威はそのままだ。
極めて難しい問題なのであろう。
「仁」とは、一体何であろうかと考えるときでもある。
(参考文献)