子曰わく、君子は道を謀(はか)りて、食を謀らず。耕せど、餒(たい) 其の中に在るあり。学べば、禄 其の中に在るあり。君子は道を憂え、貧を憂えず。(「衛霊公第十五」32)
(解説)
孔子の教え。「君子 教養人は心のありかたを追求するのであって、食べてゆくことを追求するのではない。耕作しても食べてゆくことができないこともある。学問をして、食べてゆくことができることもある。君子 教養人は、心のあり方の不安定を憂えるが、食べてゆくことの不安定を憂えたりしないのだ」。(論語 加地伸行)
ふと顔回を思い出す。
「一箪(いったん)の食(し)、一瓢の飲、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。人は其の憂いに堪えず。回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や」
ふつうの人ならとてもそのつらさに堪えられそうもない貧乏な暮らし。その中で学問を続ける顔回。
「疏食(そし)を飯(く)らい、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦その中に在(あ)り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し」と孔子はいう。
さらに孔子は子路に向かい、「発憤して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らず示爾(しかり)」という。
貧を憂えず、その中にも楽しさはあったりするという。
道の探求。人それぞれで求める道には違いあるのだろう。その道に邁進できないことのほうが遥かに辛いことということなのかもしれない。
(参考文献)