「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【賢者は其の大なる者を識し、不賢者は其の小なる者を識す】 Vol.499

 

衛の公孫朝(こうそんちょう) 子貢(しこう)に問うて曰わく、仲尼(ちゅうじ)焉(いずく)に学べるか、と。子貢曰わく、文武の道未(いま)だ地に墜ちずして、人に在り。賢者は其の大なる者を識(しる)し、不賢者は其の小なる者を識す。文武の道あらざること莫(な)し。夫子 焉くにか学ばざらん。而(しか)して亦(また)何ぞ常師(じょうし)之れ有らん、と。(「子張第十九」22)

 

(解説)

衛国の公孫朝が子貢に質問した。「仲尼はどこで学んだのか」と。子貢はこう答えた。「文王、武王の道は、まだ地に落ちて滅んだわけではなく、心ある人のところに生きている。賢人はその道の重要なところを記憶し、ふつうの者は、細々したところを記憶している。文王、武王の道がないという訳ではない。孔子はどこででも学ぶことができた。どうして一定の師があるのか」と。 論語 加地伸行

  

「仲尼」、孔子の字名。

 

 

 

「周は二代に監(くら)ぶれば、郁郁乎(いくいくこ)として文(あや)なるかな。吾は周に従わん」。(「八佾第三」14)

 孔子は「周」を理想としていたようだ。

 

 

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 孔子の学びの態度は、

「黙して之を識(しる)し、学びて厭わず、人に誨(おし)えて倦(う)まず」(「述而第七」2)。 

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「詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰わく、思い邪(よこしま)無し」。(「為政第二」2)という孔子は、「詩」から文化の本質や、人の感情を読み、学んでいたのだろうか。 

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 こうした孔子をつぶさにみていた子貢の眼には賢者に映ったのだろう。

「賢者は其の大なる者を識し、不賢者は其の小なる者を識す」

不賢者とは、子貢自身のことなのだろうか。そうした自覚があったのだろうか。

 

「子貢」、姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子より32歳年少。弁舌にすぐれた秀才で、利殖の道にもたけて孔門第一の金持になったという。  

「言語には子貢」と評され、また「賜や達なり」といって、孔子は子貢の見通しのよさを評価する。  そればかりでなく、子貢は考えて発言するが、いつも正確であると評価する。

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「文武之道」とは、聖人とされる文王、武王が理想とした政治や文化のこと。

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「文王既に没したれども、文 茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死者(こうししゃ)者は斯文(しぶん)に与(あずか)るを得ず」(「子罕第九」5)という言葉を孔子は残している。 

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「関連文書」 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫