子曰わく、詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰わく、思い邪(よこしま)無し。(「為政第二」2)
(意味)
「詩三百篇、一句で断定すれば、こころのままのまっすぐな表われである。」(論語 加地伸行)
「詩三百、一言以て之を蔽えば、曰わく、思い邪無し」
論語のこのことばには深遠さ、味わい深さがあり、真理に迫った何かを感じる。
詩経を編纂したと言われる孔子。このことばは、読んだそのイメージのままに受け取ってみてもよいのではないか。
解説
孔子が詩の本質と魅力を簡潔に指摘した文章である。見せ掛けだけの巧言令色を嫌った孔子は、当然のように詩篇についても華やかで優雅な美辞麗句を嫌い、邪心のない純粋な感情が迸る(ほとばしる)ような表現で構成された詩を好んだ。「思い邪なし」の表現は、四書五経の一つ「詩経」の魯頌(ろしょう)から引用したもので、魯頌とは魯国の祖先の霊廟を祭るときの舞楽であり、孔子は仁義と同等以上に礼楽を重視した人でもあった
(『論語 為政篇』の書き下し文と現代語訳:1)
西郷隆盛が師と仰いだ島津斉彬の座右の銘がこの言葉であったとか。
新たな「経営の神様」と言われる京セラ創業者の稲盛和夫さんもまた鹿児島の出身。京セラの社是は西郷隆盛の言葉『敬天愛人』。鹿児島人にとって、斉彬や西郷は何か特別な存在なんでしょうか。
その稲盛さんの半生記とでもいえる「思い邪なし 京セラ創業者 稲盛和夫」が発刊されている。
flierでは次のように要約する
・稲盛は幼いころ、「隠れ念仏」という特殊な宗教体験をした。そこで得たのは、「なんまん、なんまん、ありがとう」という、謙虚さと感謝を忘れないための祈りの言葉だ。
・稲盛が苦労して就職したのは松風工業という企業だ。はじめはうまくなじめなかったが、“U字ケルシマ”という部品の製造によって成果を挙げ、やがて強烈なリーダーシップを発揮するようになっていく。
・稲盛は利他の心を忘れず、京都賞を設立したり、児童養護施設をつくったりと、次の世代のために奔走した。(出所:flier)
私の知っている鹿児島人もやはり斉彬や西郷隆盛を寵愛していた。鹿児島の地に何か秘密であるのだろうか。
京セラは創業3年目の社員の反乱を契機に、「全従業員の物心両面の幸福を追求する」ということを企業の目的にしました。
これは、西郷が説く「敬天愛人」の「愛人」であり、広く人々を愛することだと改めて理解しました。(出所:稲盛和夫OFFICIAL SITE)
考えるだけでは智慧に昇華することはない。創業間もない頃の経験と「論語」から「利他の心」という智慧が育まれたのだろうか。
(参考文献)