子貢(しこう)曰わく、君子の過ちや、日月の食(みちかけ)の如し。過つや人皆之を見る。更(あらた)むるや、人皆之を仰ぐ。(「子張第十九」21)
(解説)
子貢の言葉。「君子 教養人は過ちは、日食や月食の姿のようにはっきりしており、隠したりしない。過てば人々はみなそれを知っている。しかし、すぐに改めるので、人々はかえって尊敬する」。 (論語 加地伸行)
「子貢」、「言語には子貢」と評され、弁舌にすぐれた秀才といわれるだけあって、表現力も優れていたのだろう。
君子の過ちを珍しい自然現象の日食、月食にたとえ、人々がこれを凝視することを巧く表現しているのではなかろうか。
「子貢」、姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子より32歳年少。利殖の道にもたけて孔門第一の金持になったという。dsupplying.hatenadiary.jp
子貢は考えて発言するが、いつも正確であると、孔子は評価する。
孔子の死後、衛の宰相となったともいわれている。
悲しいかな、人は「過ち」を犯すものである。「過ち」に上手く対処、その是正の仕方を心得ておけばいいのだろう。「論語」の中にいくつか「過ち」に記述がある。
已(や)んぬるかな、吾未だ能(よ)く其の「過ち」を見て、内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり。(「公冶長第五」27)
「人間は過ちを犯すことは避けられない。しかし多くの場合、人はあることが過ちであることに気がつかない、あるいは気がつこうとしない。気がついてもなんとか取り繕うとする」と桑原武夫はいう。
小人の過つや、必ず文(かざ)る。(「子張第十九」8)
人の過つや、各々其の党に於いてす。過つを観れば、斯ち仁を知る。(「里仁第四」7)
過ちて改めず、是(これ)を過ちと謂う。(「衛霊公第十五」30)
「関連文書」
(参考文献)