子 匡(きょう)に畏(おそ)る。
曰わく、文王既に没したれども、文 茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死者(こうししゃ)者は斯文(しぶん)に与(あずか)るを得ず。
天の未だ斯文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其れ予を如何せん、と。(「子罕第九」5)
(解説)
「孔子の一行が匡という土地で警備隊に囲まれた。そのとき、孔子がおっしゃった。「周の文王はすでに没したけれども、道は、ここ私に伝えられているではないか。もし天が斯の道ー斯文を絶とうとするならば、後世の人は斯文の恩恵に与ることでできなくなるのだ。天が斯文を滅しようとしないならば、匡の人々は私をどうすることもできないであろう」と。」(論語 加地伸行)
「斯文」とは道の現われとしての礼楽制度。
孔子一行が陳の匡の地で危機に陥る話は、「先進第十一」21にもある。
孔子が「陽虎」という人物に似ていることで間違えられたことで、陳、蔡の軍に取り囲まれたときの、愛弟子 顔淵との話が描かれる。
(参考文献)
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