子曰わく、如(たと)い周公の才の美 有るとも、使(も)し驕(たかぶ)り且つ吝(おし)めば、其の余(よ)は観るに足らざるのみ。(「泰伯第八」11)
(解説)
「孔子の教え。たとい周公ほどのすぐれた才があったとしても、もしその人柄が高慢でありまた吝嗇であったならば、その人について他に詳しく見る必要はない。」(論語 加地伸行)
「周公」、周王朝を建てた武王の弟旦のことで最大の功労者と言われる。首相格として首都に残って政権を輔佐し、諸制度を整備した。周公の子孫が魯国の君主となり、魯の諸制度は周王朝に準じ、魯の人孔子は周公の行政を理想としたと加地は解説する。
「関連文書」
(参考文献)