「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【学を好めり。怒りを遷さず、過ちを弐びせず】 Vol.124

 

哀公(あいこう)問えらく、弟子(ていし)孰(たれ)を学を好むと為す、と。孔子対(こえて)曰わく、顔回なる者あり。学を好めり。怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡(な)し。未だ学を好む者を聞かざるなり、と。(「雍也第六」3)

  

(解説)

「国君の哀公が孔子に下問された。「弟子の中で、修養に努める人物としては、誰と思っているか」と。孔子は答えていう。「顔回という者がそれにあたりましょう、修養に努めていました。八つ当たりなどせず、また同じ過ちを繰り返すこともありませんでした。しかし、不幸にして早く世を去りました。今はもうこの世におりませぬ。修養を積むこと一心の者を存じませぬ」と。論語 加地伸行

 

「哀公」は魯の国の君主。前494年、幼くして君子に即位した。孔子58歳のときと言われる。在位26年。

 孔子最愛の弟子顔回(顔淵)が死んだのは、孔子61歳、顔回本人32歳のときというのが通説だそうだ。人の寿命が短かった古代、哀惜の情が強い孔子にとって、顔回の32歳での死は短命に感じられたのかもしれない。

「今や則ち亡し」というのは、顔回の死後、もはや好学の士はいないと解する説もあるというが、桑原はこれも孔子の痛恨を示し、「死せり」と「亡し」と二回繰り返させたとみたいという。

 

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 桑原の解説、

「怒りを遷さず」というのは新注によれば、甲への怒りを乙に移さない、つまり八つ当たりはしないといことになるが、むしろ古注に従って、正当な理由があれば怒りはするが過度にならず、またその方向づけを誤らない、という意味にとっておきたいと桑原はいう。

「学を好む」という形容のあとで、その内容を示すにあたって、まずいきなり怒りということが出てくるのは、私たちにとってはいささか奇異の感じを禁じ得ない。孔子のいう「学」とは知識の蓄積の意ではなく、道徳の実践にことだから、その具体例をあげようとするのはわかるが、人間諸情念のうち特に怒りを取り上げる理由は何か。よくわからない。当時は社会に人をして激怒せしめるようなことが多く、門弟がみな怒りやすかったのか、それとも、おそらく少し病身で寡黙、内向的だった秀才顔回は怒りやすかったのかもしれない。

 

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君子といえどももちろん怒る。いな、「唯だ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む」(「里仁第四」 3)という言葉が示すように、仁者は人間を愛する情が深いだけに、人間をにくむことも激しいのである。不正に怒る情念がなくて、どうして正義を守りえよう。ただその怒りはいかに正当、強烈であっても、仁の枠内にあって、理性のコントロールの下になければならない。顔回はそれがよくできた、というのであろうか」

 

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 突然、コロナによる災禍が身に降りかかってきた。先行きへの恐れ、目に見えないウィルスへの恐怖。そうしたものが怒りに変わっていく。理性によってコントロールすることで、「仁」に一歩近づく。今この災禍には「仁」を必要としているのかもしれない。

 

「学を好めり。怒りを遷さず、過ちを弐びせず」

顔回の境地を学びたい。 

 

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫