「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【顔淵 邦を為むるを問う】鄭声は淫にして、佞人は殆うし Vol.389

 

顔淵(がんえん) 邦を為(おさ)むるを問う。子曰わく、夏(か)の時を行ない、殷(いん)の輅(ろ)に乗り、周の冕(べん)を服し、楽は則ち韶舞(しょうぶ)し、鄭声(ていせい)を放ち、佞人(ねいじん)を遠ざけよ。鄭声は淫にして、佞人は殆(あや)うし、と。(「衛霊公第十五」11)

 

(解説)

顔淵が国政の方法を質問した。孔子はこう答えた。「夏王朝の歴法を行ない、殷王朝の大車に乗り、周王朝の冠をかぶり、音楽は韶楽とし、鄭楽は追放し、口先だけの者を遠ざけよ。鄭楽は行き過ぎであり、口先だけの者は危険である」と。論語 加地伸行

  

孔子は、「回や愚ならず」という。

「終日違わずして愚なるが如し。退いて其の私を省みれば、亦以て発するに足れり」。(「為政第二」9) 

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 その寡黙な秀才 顔淵にむかい、なぜ「鄭声は淫にして、佞人は殆(あや)うし」と言ったのだろうか。

 

 

 ある人が「冉雍は人格者であっても、弁が立たない」と批評し、これに対し、孔子は、「焉(いずく)んぞ佞を用いん。人に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以てすれば、屡々(しばしば)人に憎まる。其の仁を知らず。焉んぞ佞を用いん」と答えた。(「公冶長第五」5)

「佞」、他人と交わるとき、「弁舌」にまかせると、ややもすると憎まれるという。

 

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「顔淵」、姓は顔、名が回、字名が子淵。魯の国のひと。孔門十哲の一人、孔子最愛の弟子とされる。好学の士。

 孔子より30歳年少で、孔子61歳のとき、32歳で亡くなったという。これが通説だが、孔子71歳のとき、41歳で死んだという説もあるという。加地は29歳で亡くなった説を採用し、すべて白髪だったという。

 

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「雍也第六」3で、哀公が「弟子の中で学を好むのは誰か」と問い、孔子は、「顔回なる者あり。学を好めり。怒りを遷さず、過ちを弐びせず」と答える。

 「おそらく少し病身で寡黙、内向的だった秀才顔回は怒りやすかったのかもしれない」と桑原はみる。 

  

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 顔淵の性格を踏まえた正確なアドバイスであると同時に、最愛の弟子に孔子の内心を吐露したということなのだろうか。

   

「関連文書」 

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 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

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  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫