顔淵死す。子曰わく、噫(ああ)、天 予を喪(ほろ)ぼせり、天 予を喪ぼせり、と。(「先進第十一」9)
(解説)
「顔淵が亡くなったとき、孔子はこう嘆いた。ああ、天は私を殺した、天は私を殺した、と。」(論語 加地伸行)
孔子は顔淵を自分の精神的あり方の後継者と考えていたらしく、自分より先に顔淵に死を与えた天に対して、自分を殺したも同然と思ったと、加地は解説する。
孔子は顔淵が死んでしまえば、もう学問好きと言われる者はいないと「雍也第六」3でいう。この発言が孔子学団に影響を及ぼすことはなかったのかと桑原はいう。そんな影響を度外視するほどに、顔淵の存在が孔子にとっては貴重だったということであろうか。
(参考文献)