子曰わく、唯仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む。(「里仁第四」3)
(意味)
「心ある人だけが善い人は善い人とし、悪い人は悪い人と見きわめることができる」。(論語 加地伸行)
「君子も亦悪むこと有るか」と、子貢が孔子に質問をする(「陽貨第十七」21)。
その子貢の質問に対し、孔子は、他人の悪を言い立てる人間、身分的に下にいながら上を誹る人間、勇気はあるが礼儀をわきまえない者、自己主張の強すぎる人間を憎むと答える。
これを引用して桑原は、「人間愛を根幹とする仁者が人を憎むことがあるのだろうか」と疑問を投げかける。
孔子は好悪の情を抑圧せよとはいわない。むしろ好悪の情の存在を肯定し、これを鍛錬することが道徳なのではないか。そして人間についての真の正しい理論を体得した者のみが寸毫(すんごう)もあやまつところのない好悪を実践しうるのではないか。(出所:論語 桑原武夫)
真に健全な自由人は、自分の感情や行動に抑制を加えない。仁者とは、そうした至高の境地に達した人をいうと桑原は解釈する。
「硫黄島からの手紙」という映画があった。海外出張の行き帰りの飛行機の中で何度もこの映画をみた。主人公は軍人栗林忠道。
勝つ見込みもなく、生きて帰ることも叶わないであろう戦地に赴き、多数の兵を率い、その運命を託された栗林はどんな思いを胸にしまい込んでいたのだろう。
栗林は駐米武官の経験があり、知米派、開戦反対論者であったようである。その栗林が戦争の終盤に硫黄島に赴任、アメリカ軍と壮絶な戦いを繰り広げることになる。栗林が取った作戦は持久戦であった。アメリカをよく知る栗林は戦いが長期化し、米軍の被害が拡大すれば、アメリカに厭戦ムードが起き、世論が動くことを期待しての作戦であったのではないかと見る意見もある。栗林はアメリカ、そして、米軍の実力を正確に見極めていた。
1分1秒でも長く戦うことができれば、米軍の進行を遅らすことができ、本土を戦火から守ることができるかもしれないと栗林はそう思ったのだろう。
硫黄島に着任して以来、栗林は一瞬たりとも気を抜くことはできなかったのでなかろうか。勝つことを目的とするのでなく、少しでも長く戦うことを目標にする。
それは、硫黄島を守備する兵隊を、日本を守ることにもなる。
唯仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む
栗林は作戦開始前に将校の配置換えを行なう。目的をひとつにできない者たちを一線から退け、新たな将校を呼び寄せた。万全の体制を作り、最善を尽くす。
部下を思い、ねぎらい、一日でも長く戦い続ける。栗林は、仁者として至高の境地に到達したのかもしれない。
そして、1か月半の長きに渡る激戦の末、栗林は硫黄島で自決する。
映画では、渡辺謙さんが演じていた。クリントイーストウッドさんによって、日米双方の立場で映画化された。『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』。
「義(ただ)しいもの」、「正義」は、立場が変われば、異なったものになってしまう。互いの立場を理解できれば、逆に言えば、「正義」が同じであるなら、争いなど生じることもなく、この戦いも起きなかったのかもしれない。
「義をみて為さざるは、勇無き也」「為政第二」 24
「素直さ」あるいは直情径行を、孔子は実は高く評価したのではないかと桑原はいう。デカルトと同じようにいざとなれば剣をとって立ちえた人であろうと見る。
「仁者」という言葉を人生に消極的な学者、あるいは悪い意味での儒者ととらないようにしたいともいう。
戦後、その栗林は、アメリカで評価される軍人のひとりになった。
(参考文献)