子曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てせざれば、之を得るも処(お)らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てせざれば、之を得るも去らざるなり。君子、仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は終食(しゅうしょく)の間も仁に違うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。(「里仁第四」5)
(意味)
「財産と高い地位とは、人間の求めたがるものである。しかし、正当な方法を用いなかった結果であるならば、たとい得たとしても私はそこにいない。貧困と低い地位とは、人間の嫌うものである。しかし、正しい方法を用いなかった結果であるなら、たといそうなっても私はそこから出ようとはしない。君子 教養人たる者は、正当なあり方(仁)を外れて、どうして「君子」と名乗れようか。君子 教養人は、食事中という短い時間においても、正当なあり方を忘れない。いや、慌ただしいときでもそうだ。いや、倒れた時においてもそうなのだ。」(論語 加地伸行)
『仁は最高の基本的価値であって、財産も地位もそれを動かすことはできず、また仁は日常坐臥いかなる瞬間にも君子の生活の中心にならなければならぬ』
『君子と言われほどの者に仁以外の居り場所はない』と桑原は読む。
そして、その仁というのは外に飾り付けたものではないだから、机に向かって冥想しているときだけでなく、どんな瞬間的なまた異常な場合にも腹の中におさまっているもの、つまり人間の血肉となっているはずのものだ。だから食事をしている間も仁から離れるわけはない、というのである。つまづいて倒れそうなときでも仁を離れない (引用:論語 桑原武夫 P79)
環境を第一とし、寄付行為を続けるアップルのクックCEOに君子の姿を見る。
「気候変動」のせいであろうか、世界各地で目を覆うばかりの災害が発生している。そればかりではない、アマゾンの森林火災など人為的な災害までが発生する。
その災害の度、アップルは寄付金を拠出する。それは弱者、他者への配慮なのかもしれない。それが現代の「仁」という徳なのかもしれない。
アップルは世界のどの企業よりも早く自社で使用するエネルギーがすべて再生可能エネルギーに変え、今も太陽光パネルの設置を進める。ノートルダム寺院の火災でも寄付を行ない、京アニの事件が起きた時、クック氏は哀悼の意をTwitterで表明した。
企業は経営者の影でもある。その性格が経営にも如実に映る。
『孔子は、仁の徳を守る人はおのずと富みかつ貴くなるはずであり、不仁者は貧しく賤しい地位におちるはずであるというオプチミズムにたっている』と桑原はいう。
其の道を以てせざれば、之を得るも処らざるなり。
『逆に富貴にして「是に処らず」、つまり德なくして富貴となったが、その地位に安住しなかった歴史上の道徳的人物としては、誰があげられるのであろう』ともいう。
ティムクックの矜持なくして、今のアップルはないのかもしれない。
日本資本主義の父と言われる渋沢栄一は、この章を「道理を伴なった富や地位でないのなら、まだ貧賤でいる方がましだ、しかし、正しい道理を踏んで富や地位を手にしたのなら、何の問題もない」と訳し、孔子が「富と地位」を嫌っていたということはないと断言している。「論語」と「算盤(経済活動)」は相通ずるという所以のひとつにしている。
(参考文献)