衆院選が終わり、結果が明らかになりました。与党、野党共闘が議席を減らし、維新が躍進との結果でした。大物議員が落選したり小選挙区で議席を失ったりと、変化を感じる選挙結果でした。
論語と算盤
昨夜のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では、主人公の渋沢栄一が「論語」を読み上げていました。
論語「里仁第四」5にある言葉で、
子曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てせざれば、之を得るも処(お)らざるなり。
貧と賤とは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てせざれば、之を得るも去らざるなり。
君子、仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は終食(しゅうしょく)の間も仁に違うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。
栄一自身も実際、論語主義は明治六年よりと述懐し、この言葉を引用していることより、それが後の「論語と算盤」につながる起点だったのかもしれません。
ドラマの中では、維新で活躍した西郷隆盛や大久保利通が亡くなり、三井の三野村も世を去ると、新たな時代の幕開けを感じるような筋書きでした。
立憲、辻元さん、小沢一郎さん、自民、石原さん、甘利さんの当落結果に驚き、こうしたことが新たな動きにつながっていくのかもしれないとも感じたりします。
人の過つや、各々其の党に於いてす
「人の過つや、各々其の党に於いてす。過つを観れば、斯ち仁を知る」と、「里仁第四」7 にあります。
「党」とは、「類」と同じで、兎角人間というものは過失を致す場合も、その性癖が必ずその過失の上に顕はれて来ると、渋沢栄一は解説しています。
その人の過失が、仁に流れることにより顕われてきたものとすれば、その人の平生が仁厚の性行あるを知るべきで、また、忍に流れることより来たものとすれば、その人の平素の性行が、残忍に傾いておってたものであるのを知り得るのであるといいます。
もし日頃から「仁」を心がけているなら、敗れることはなかったのでしょう。
無闇に人を批判してばかりで、それも過ぎれば、実際、何がしたいのかが、ぼやけてみえます。その言説は理解できても、実際の投票行動につながるかは別なような気がします。声を張り上げ、拳を振るうばかりでは応援する気にはなりませんでした。
利に放(よ)りて行えば、怨み多し
「里仁第四」12には、ある言葉です。
「利害打算だけで行動すると、他者から怨まれることが多くなる」との意味です。
自民党幹事長が小選挙区で議席を失いました。象徴的な出来事のようにも感じます。辞表を出したようです。
「利に放(よ)りて行えば、怨み多し」
今後の自民党の役員人事次第で、先々の印象が変わるのかもしれません。
天下 道有らば、則ち見われ、道無くんば則ち隠る
「子曰わく、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くし、危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず。天下 道有らば、則ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」
と、「泰伯第八」13 にあります。
この章について、栄一はこう解説しています。
「威武も屈する能はず、富貴も淫する能はず」
この心掛けは、今日の日本にも必要のことであって、自身には何等確信の無い、心にも無いようなことを唯世間や新聞で騒ぎ立てるからといつて、尻馬に乗って騒ぎ廻るということはこの孔子の教に全く反するもので、甚だ尊敬し難いものである。
徒に喧騒を事とする前に、先づ退いて学を好み、依って以て正当なる批判に依り、正しい確信を造ることが必要である。で真に確信が出来たら、そこで死をも賭してその志す道に勇往邁進するがよい。勇往もしなければ、そうかといって退いて諄々と勉強するでもないというのでは、全く始末におへぬ。余程よくこの点は考えねばならぬと思ふ。 (参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団)
今回の選挙結果はまっとうな結果なのでしょうか。
「天下 道有らば、則ち見われ、道無くんば則ち隠る」
政権交代を問う選挙と言っていた与野党がそれぞれ議席を減らし、意外にも維新が4倍も伸ばしたということがその顕れのような気がします。
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選挙は終わりました。この結果をみなが謙虚に受け止めて、それぞれが心を入れ替え、少しでも良い方向にしていくことを今は期待したいと思います。
まずは、喫緊の課題である「COP26」からということでしょうか。